インタビュー

「やると決めた時を逃さないで」西川壱弥さんインタビュー(総合芸術家・日本舞踊教室主宰)

 

「私が本来持っている才能をすべて使い切りたい」

 

そう語るのは総合芸術家、日本舞踊教室「朱里(あかり)の会」主宰者として活動する西川壱弥(にしかわ・いちや)さんです(那覇市出身)。

幼少から学んだ日本舞踊、勘違いで飛び込んだ劇団、東京に根づいて自分らしい活動を展開するようになるまでの道のりを教えていただきました。

(インタビュー日:2023年4月)

 

<ご案内>

 

幼少から日本舞踊を学ぶ

 

ー現在のお仕事について教えてください。

宗家西川流師範として東京を拠点に国内各地で活動しています。都内で日本舞踊教室「朱里(あかり)の会」も主宰しています。

 

ー沖縄出身の日本舞踊家はめずらしいですよね。日本舞踊を始めたきっかけを伺っても良いですか?

私は祖父の代から続く日本舞踊家の家に生まれ、父が私の師匠で3歳の時に初舞台を踏み、5歳で歌舞伎座デビューしました。

2000年、当時最年少の13歳で西川流の名取(なとり)試験に合格しました。名取とは西川の名前を名乗って舞台に立っても良いという意味で「プロになる」というイメージですね。

名取の前までは本名で舞台に立つんですが、試験に合格して初めて流派から認められ、私の場合は西川壱弥という名前をいただきました。

その後、20年に師範を取得して生徒を持てるようになりました。沢山の舞台で踊らせていただいてます。

 

ー幼少期や学生時代はどのようなことをしていましたか?

私の場合、日本舞踊の英才教育でお腹の中にいる時から古典の音楽を聞かされて育ちました(笑)。

物心ついたころから日本舞踊が身近にあって学生時代はずっと稽古に励む環境でしたね。

ただ学生時代は女子サッカー部にも所属していてアクティブに過ごしていました。

日本舞踊は白塗りをするので日焼け厳禁でケガにも細心の注意を払っていました。

サッカー選手のトッティが好きで背番号は10でしたが、試合ではいつもベンチメンバーで出場はしませんでした。

相手チームからしたら「エースがベンチにいるから油断できない」と映ったかもしれません(笑)。

 

憧れの劇団に入ったはずが・・?

 

ー上京のきっかけを教えてください。

卒業後すぐに上京したわけではなく、秋田経由でした。

高校卒業が近づいて周りの友達の会話が「大学どこ行く」とか「就職先どうしようかな」とか進路の話が中心となり、「あれ、私は何をしたいんだろう」って思った時にある劇団のことを思い出したのがきっかけですね。

その劇団は日本全土のいろんな土地の芸能を研究していたんです。なので沖縄の琉球舞踊はもちろん、各地の何々舞踊みたいな感じでその地に根付いている芸能を研究して作品にしている劇団でした。小学6年生の時にその公演を観たのを思い出したんです。

私は日本舞踊のバックボーンがあり歌舞伎や能、洋舞に琉舞と色々見てきましたが、日本っていう国の郷土芸能、他県の郷土芸能を当時見たことがなかったんですよ。

それで衝撃を受けたのを思い出して、卒業するタイミングでチャレンジしてみました。劇団なのでオーディションがあったんですが、ご縁があり入団することが出来ました。劇団の拠点が秋田だったので高校を卒業して2年間は秋田に住んでいました。

ただ劇団に入団した後に衝撃の事実を知りました。なんとミュージカル団体に変わっていたんです。小学生の時に観たものと全く違っていて「聞いてない!」と劇団の方に伝えたんですが、「ここ数年うちはミュージカルですよ。あなたの確認不足でしょ!」って言われました(笑)。

ただ授業の中では各地の伝統舞踊を研究しているとのことだったので、2年間研究生として勉強しました。

その後劇団で作品出演も決まっていたんですが、この劇団の中で私がやっていくことに気力を失ってしまう出来事があり、退団を決意。

当時、姉が東京芸術大学に在籍していたので東京に行くか沖縄に帰ろうか迷っていました。そのことを父に相談した際に「沖縄にはいつでも帰ってこられる。東京で勉強したほうがいい」と言葉をかけてくれました。

父も若いころ東京で日本舞踊の修行をし、教室を主宰している時期もあったので、その経験からくるアドバイスだったと思います。

「そっか!帰らなくていいんだ!それなら東京に行こう」と決意して姉のところに転がり込んで、気が付いたらもう東京生活は10年以上になります。

沖縄で日本舞踊をやっている頃も珍しがられましたが、実は東京でも状況は似た感じでした。

本場のはずの東京でも一般的ではなくて、「日本舞踊?どこでやっているの」って感じで。ただ、私の周りには日本舞踊を本気でやっている若手も多くて切磋琢磨できる環境はあります。芸を磨くうえで、やはり東京は刺激的な場所ですね。

 

ー県外で生活していく(仕事をしていく)中で印象に残ったエピソードがあればお願いします。

上京して1番びっくりしたのが、人口が多いので人と触れ合う機会が多いのですが心が全く触れないんですよ。

例えば信号渡る時に人が多いのでぶつかるじゃないですか、ぶつかった時に「ごめんなさい」を言うのが私だけ。ぶつかっても何もなかったかのようにすれ違っていく。

こんなに人がいっぱいいて触れ合っているのに、人との距離の壁があまりにも厚くて違和感がありましたね。

自分からオープンにしていかないと人ってこんなにも入ってこないって、付き合いが作れないんだなっていうのがわかったんですよね。

沖縄って何もしてなくても、なんかどんどん人が入ってくるじゃないですか(笑)。その環境で慣れすぎてしまっていたので、自分を確立していく厳しさ、自分から溶け込もうとする力、エネルギーってこんなにいるんだっていう開拓の難しさをすごく感じましたね。

ただ私の場合、性格に救われています。オープンマインドというか「いいな」と思ったらだれからかまわず話しかけるんで、今ではいろんな方とお付き合いが生まれて、楽しい東京生活を過ごしています。

 

日本舞踊を伝え、新たな可能性を追求したい

ー東京で日本舞踊教室を主宰したきっかけは?

20歳で上京した時、東京でも日本舞踊があまり親しまれていない事に驚きました!

日本舞踊には、日本人の心と文化(音楽・美術・文学)の全てが凝縮されています。それを知らないなんてモッタイナイ!

"敷居が高い"や"観ていて眠くなりそう"といったイメージだけでは無く、日本人が持つ美的センスや仕草の美しさ、さらにエンターテイメント性溢れる演出など、もっともっと今までの概念を超えた魅力を伝えたい!!という思いで主宰しました。

ルーツを辿れば400年以上の歴史があるこの芸能の今、そしてこれから先の時代、次の世代へ繋げる為にも日本舞踊を知っていただき、秘めた魅力と新たな創作の可能性を融合し表現していきたいと思います。

 

自分の持ってる才能をすべて使い切りたい

 

ー今後の予定や目標について教えてください。

日本舞踊という枠だけではなくて、私が本来持っている才能を使い切って死にたいっていう抽象的な野望がありまして、それを叶えていくために今後2つの軸をたてて活動を広げていきたいと考えています。その1つ目が「いちやんプロデュース」です。

 

 

この取り組みは私自身がパーソナルエネルギープロデューサーとして対話を通じて秘めたエネルギーと輝きを引き出すサポートをさせていただきます。

導き出されたエネルギーと輝きをパーソナルスタイリングを通じて具現化し、世界に一つだけの作品としてプロデュースさせて頂くプロジェクトです。

2つ目が「藝術を感じて再起力を発動させよ」をスローガンに掲げたResilience Feel Art's(レジリエンス フィール アーツ)という団体を今年の4月に立ち上げたので、そこでの活動です。

団体を通じて舞台の企画や総合演出を行い活動を広げていき、日本にとどまらず世界にも持っていきたいですね。

その中でベースである伝統芸能としての日本舞踊であったり、沖縄ゆいまのーるだったり、「自分事じゃなくてみんなと一緒にやっていくんだよ」という精神性も含めてアートとして作品に残していったり、作って形にしてどんどん世の中に生み出したいと考えています。

この活動を行うキッカケの1つがBeauty Japanという女性のキャリアを重視した新しいビューティーコンテストへ参加したことで、日本舞踊を土台にして今まで経験したことを表現者として体現したことで総合グランプリを受賞しました。

以前は日本舞踊家としての活動していたんですが、そこから総合芸術家という風に肩書を変えたのもこの活動に全力投球する意思の表れです。

 

とにかく行動!先延ばししてどうするねー?

ー最後にこれから上京を考えている沖縄の若い世代に向けてメッセージをお願いします。

やりたいことや興味があることがあれば、とにかく行動に移してほしいですね。

行動することで自分を見つけてくれる人が必ず出てくるから、諦めないで楽しみながらやった方がいい。それこそもうのんびりでいい。

沖縄のゆったりした「ナンクルナイサー」精神でいいからやり続けることが大事です。

焦らなくてもいいけど、やるって決めたらその時を逃さないでほしいですね。やりたいことを先延ばしにしていると「気づいたらおじいおばあになってるけど、どうするねー?」って言いたいです(笑)。

 

 


西川壱弥(にしかわ・いちや)

総合藝術家・宗家西川流師範 沖縄県那覇市出身。三代続く日本舞踊家の家に生まれ、二代目・西川扇一郎(父)に師事。3歳で初舞台を踏み・5歳で歌舞伎座デビュー・13歳の時に当日最年少で名取試験に合格。 歌舞伎座・国立劇場など舞台出演多数。 J-POP歌手とのコラボや創作作品に多数出演するなど、ジャンルを超えた舞踊表現の可能性を広げる活動を行い話題となる。 2023年には藝術団体 Resilience Feel Art'sを立ち上げ、舞踊に止まらずプロデュースも手掛け、注目を集める。 都内にて舞踊教室「朱里(あかり)の会」主催 受賞歴🏅:2021年6月1日に行われたBeauty Japanコンテスト・東京大会にて準グランプリと特別賞(morich賞)のダブル受賞、 同年11月19日に行われた2021Beauty Japan日本大会(全国大会)にて総合グランプリを受賞し、日本一に。さらに特別賞(Cultural successor ・文化後継者賞)のダブル受賞。

【Instagram】 https://www.instagram.com/ichiya_0038/

【direct mail】 mybcom7@gmail.com

 

平良英之

西川さん、お話ありがとうございました!

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