「置かれた環境でベストを尽くしていれば道は開けます」
そう語るのは、宮古島出身で日本体育大学女子剣道部監督の新里知佳野(しんざと・ちかの)さんです。
宮古島で剣道の道に目覚めて世界大会へ出場、指導者として後進を指導するまでの道のり、そして若い人へのメッセージを教えていただきました。
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インタビュー
ー現在のお仕事について教えてください。
日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科准教授 、剣道部女子監督を仰せつかっております。
ー今のお仕事についた経緯について教えてください。
大学卒業後、剣道研究室の助手として3年間勤務した後、大学院に進学し修士号を取得しました。その翌年から日体大の専任助教として勤務し現在に至ります。
ー剣道家として公務員や民間企業など様々な進路があるとのことでしたが、そこから大学に残ったきっかけは?
大学3年時に日本代表(10人)に入り世界大会に出場することが出来ました。そこからもう一度大会に出たいという思いがあり、期限付き助手として剣道部のコーチとして 稽古ができる環境に身を置いて世界大会を目指していました。しかし、在籍していた3年間では世界大会の選考に落ちてしまい出場はかないませんでした。世界大会を諦めかけたとき、台湾で行われた世界大会に審判講習会の試合者として参加させていただきました。そこで世界大会を観戦し、「やっぱりもう一度この舞台に立ちたい」という思いが再燃しました。ちょうど助手が終わるタイミングで新潟国体の選手として、新潟に来てくれないかというお話をいただいて、世界大会目指すのであれば環境としては申し分の無い環境だったので引き受けました。沖縄育ちの私が雪国で生きていけるのか不安はありましたが(笑)。先生の勧めで大学院の修士課程も取得しながら国体要員として2足の草鞋を履く形でしたが、その成果が実って、 次の世界大会の選考を通って念願の世界大会の舞台に戻ることが出来ました。その後修士課程も取得し、日体大助教の申請も通り専任助教として勤務することとなりました。またそのタイミングで剣道部女子監督の依頼があり、コーチから監督となりました。
ー教える側に立ってみて見えたことはありますか?
「伝え方の重要性」ですね。こういう風にやるんだよという手本を見せることは出来ますが、それを言葉で伝えていくことの難しさを痛感しました。自分の動作を言語化して伝えることがとても勉強になりましたね。それを伝えることが少しずつ出来るようになり、学生たちの動きや技が変わり成果が出てくると「嬉しさ」、「楽しさ」がありますね。指導した当初は「先生は出来るけど、私には出来ないよ」と言われることもありましたが、その「出来ない」を「出来るようにする」ことが指導者の役目でもあると思っていますので指導法について日々勉強ですね。
ー宮古島で剣道が盛んなイメージがなかったのですが、そんな中で剣道を始めたきっかけを教えてください。
5つ上に兄がいて、その兄が剣道を習い始めたことがきっかけですね。その兄の送り迎えで、私も母と一緒について行って、窓越しに見えるお兄さんお姉さん達の剣道着姿や稽古の風景を見て「かっこいい!自分もやりたい!」 と思ったのがきっかけですね。そこの道場の先生が、警察官をしながら子どもたちに剣道を教えていたのですが、本当に剣道が大好きで指導能力の高い、熱血な先生でした。研究・工夫を凝らしながら私たちを指導してくれて、それが私の剣道の根本になっています。この先生に出会えてなかったら今の私は無いですね。通っていた南修館道場は当時全盛期で、門下生も多く、県大会の上位に入賞する先輩たちもたくさんいました。その南修館に興南高校が合宿に来ていました。当時小学生だった私も稽古に参加して上のレベルを肌で感じることが出来ました。 常に上のレベルを感じられる環境が私の成長の幅を広げてくれたと思います。当時はレベルの高い選手を見てとても励みになりましたし、「こんなに強いんだ!こんなに凄いんだ!」って目をキラキラさせながら見ていました。私自身、興南高校の合宿のお陰で高いレベルに触れることが出来て、中学時代は全中で3位まで行くことが出来ました。そこで全国のレベルに触れて、今度は全国で一番になりたいと思い、目標がどんどん高くなりました。 それで高校、大学と常に挑戦することが出来ました。ただ、高校時代は全国との壁を痛感しましたね。沖縄のレベルは全国と比べたときに差は歴然でした。全国の強豪チームは毎週全国を飛び回って年間何千試合も行うので、実戦経験は雲泥の差がありました。高校時代、それを肌で感じて「もっと上でやりたい」という気持ちで日体大に進学して日本一を目指して頑張っていました。そこから今度は世界大会を目指して、その時々で新しく高い目標を設定して、そこに向けて自分の人生をかけて努力して実績を積むことが出来ました。そういう環境に身を置けたことは、本当に運が良かったですね。
ー宮古島で剣道をするうえで環境的にアドバンテージがあると感じていますが、島の子どもたちに向けてアドバイスをお願いします。
私自身、当時の練習環境は道場で先生に向かって打ち込む稽古しかほぼやっていなかったので、実戦経験では敵わないと思います。ただ、今考えればある意味そこに価値があるのかなと思います。その先生に向かって、 先生が与えてくれる機会を打つ稽古がで来たことが、私にとってはとても良い稽古法だったのかもしれません。試合の量や経験は圧倒的に足りなかったと思いますが、逆にそれが生きている場面もあります。試合を多くこなすがゆえに悪い癖がつく可能性もあります。打たれたくないという思いから体勢を崩すことがありますが、私は道場の先生の指導で「技は打たれて覚えなさい」と習っていたので、体勢を崩すとか避けるという悪癖がつかなかったというのが、大学生以降剣道を続けるうえで財産になっています。目先の勝利にとらわれず基本となる打ち込み稽古を徹底的に行い、剣道の土台作りをしっかりやって欲しいですね。それはどんな環境でも出来ますし、必ず自分の武器になります。
ー剣道家・指導者としての今後の目標を教えてください。
監督に就任して1、2年目は全く勝てず苦しい経験もしましたが、監督を務めて10年で、大学の公式戦(関東個人戦、全日本個人戦、関東団体戦、 全日本団体戦、関東新人戦)全て優勝することが出来ました。今後は、2周目に入りたいなっていう思いですね。全大会制覇、そういう気概を持って取り組まないと、 やる気を持って大学で頑張りたいと思って入ってきた子たちを潰すことになってしまいます。私自身、どんなに頑張っても全く結果が出なかった時期の悔しさを忘れず、もう一度大学日本一を目指して現役生と向き合っていきたいですね。そこから学生たちが今後の道を自分の力で切り開いていくと思いますが、その中から日本を代表する選手が生まれてくれたら嬉しいですね。私自身剣道家としての目標は、ありがたいことに剣道の稽古はいつでも出来る環境にあるので、これまで教わってきたものを土台としながら剣道を深めていきたいですね。私の座右の銘が「 継続は力なり」なので、これからも稽古を続け技術的にも人間的にも成長できたらなと思っています。
ー新里さんは高校進学を機に宮古島を離れて島外での生活が長いと思いますが、宮古島は新里さんにとってどんな場所ですか?
私の原点であり、心の拠り所です。それはいくつになっても変わらないですね。毎年お正月には帰省して南修館道場で初稽古をやっています。その年の目標設定をして、東京に戻ってその気持ちを大事に一年間頑張る、そのスタートラインとなる場所です。両親や、先生が元気なうちに良い報告がたくさん出来るように日々精進していきます。
ー最後に、島の子どもたちに向けてメッセージをお願いします。
今ある環境で出来る最善を尽くしてどんどんチャレンジして欲しいですね。昔と違って今は情報を得る手段が格段に増えています。ネットやyou tube等を通じて高いレベルに触れることも出来ます。常に関心を持って置かれている環境でベストを尽くしていけばきっと道は開けます。応援しています。
新里知佳野(しんざと・ちかの)
沖縄県宮古島市出身。興南高から日本体育大に進み、卒業後同大学剣道研究室助手を経て同大学院に進学(大学院進学と同時に新潟県体育協会勤務)。修了後同大学教員となる。全日本女子選手権2位3位、世界大会個人3位ベスト8、国体2位、全日本都道府県対抗女子大会優勝、全国教職員大会個人2位など。指導実績として全日本女子学生大会団体優勝個人優勝など。現在、日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科助教。剣道錬士七段