インタビュー

「沖縄を出ることで自分のサイズに気づく」幸地彩子さんの仕事論(日本自然保護協会)

幸地彩子さんの仕事論

そう語るのは日本自然保護協会の広報職員として活動されている幸地彩子さん。

生活してみて感じた「多様性と適度な匿名性があり好きなように生きられる街」東京の魅力、次世代へのメッセージなどを教えていただきました。

(更新日:2018年6月20日)

 

<ご案内>

 

街に緑を作る仕事を目指して

幸地彩子さん

 

―現在のお仕事について

当協会は「調査研究」「普及」「政策提言」という3つの柱を軸に、絶滅危惧種の保護や政策の提言、自然の守り手となる人材の育成等の活動をおこなっています。

私の仕事は協会の活動を発信する広報担当としてプレスリリース作成・配信、メディア対応、メディア向け勉強会の企画、WEBサイトやSNSの運営を中心におこなっています。

―上京のきっかけは

那覇市で過ごした幼少期は活発でよく外で遊んでは虫を触ったりしていました。中高で勉強していく中で将来は漠然と獣医にもなれたらいいなと思っていました。

姉二人が留学をしていたこともあり私も高校3年生の時に1年ほどオランダ留学を経験いたのですが、帰国して降り立った東京の街並みが灰色一色でショックを受けました。

オランダはどこに行っても緑が多かった。この時に街に緑を作る仕事がしたいと思い東京農大の造園科学科を進路に選びました。

大学生活は東京で過ごしたいという思いが強く、姉や親戚も東京に暮らしていたという安心感もあって東京に出る事に抵抗はありませんでした。

また幼少から両親に比較的厳しくしつけられていたこともあり、将来は親元から離れて暮らすことをとても楽しみにしていました。

上京してからはやっと親を気にしないでいろいろな情報や人に触れられる!羽がのばせる!という喜びが強かったです。でも離れてみて親の有難さや厳しさの意味も同時に分かった気がします。

 

“バズるニュース”の発信がきっかけで広報に抜擢

幸地彩子さん

 

―上京後は

大学で造園分野に進んだものの、どこか造園のあり方に疑問を感じていたんですね。でも3年生の時、特別授業に訪れた客員教授の「生き物のいない庭はニセモノだ」という言葉に衝撃を受けて、やはり人と自然が共存できる社会が理想だという思いを強くしました。

中学生の時に長崎県の諫早湾干拓事業の堤防締め切りをニュースで目にして以降、一部の論理だけで進められる自然破壊にはっきりノーといえる仕事をしたいと思っていた時に自然保護協会の仕事を知って、まさにこれだ!と思いました。

しかし経験のない新卒、しかも専門的な知識に乏しい学部卒にはポストがない。大学3年時に運よくアルバイトの募集があったのでそこから職員へのチャンスを待つ道を選びました。

入社後は業務量の増加や多様な業務に対応する為、アルバイトからパート、そして1年契約の準職員とステータスも変化していく中で、助成金事務局や自然観察会の運営などを担当しました。

転機は3年前のエイプリルフール(4月1日)。SNSでのPRを狙った「1日限りのジョークニュース配信」をする大企業が増えていることに着目して、うちでも何かやろうという事になりました。

元々インターネットで情報を集めるのが得意だったのでスタッフと一緒にアイデアを出し合って「日本自然“破壊”協会に改組のお知らせ」というプレスリリースを出したところ、これがネットでかなりバズってテレビの取材まで受けました。協会史上初の反響でしたね。

協会には10年ほど広報がいなかったこともあり、このことがきっかけで広報職員に抜擢されました。2017年の8月からは永続雇用の正職員として勤務しています。

 

満員電車には慣れない

―東京で苦労したことは

些細なことですが満員電車が凄く嫌でした。沖縄だとあんなに人同士がくっつかないじゃないですか。車やバスでの移動がほとんどなので。皆殺気立っているし誰も謝らないし。そういうのは嫌でしたね。今でも慣れません。

これは笑い話なのですが、JR中央線を通学で利用している時、快速というのが一定の駅を通過するという意味を知らなくてスピードだけが速いという意味だと思っていたんです。

朝の混雑時は電車も詰まっていて「なんで快速って書いてあるのにこんなに遅いば」と私もイライラしていました。ある時よく外を見たら「あれ?駅を飛ばしていない?」と(笑)。

あと慣れるのに時間がかかったのが皆が標準語を話していることでした。当時の私にはとっても冷たそうに聞こえて、意地が悪そうというか。親しみを持ちきれなかった。

今では私もとてもキレイな東京弁を使いますが、当時言葉のイントネーションだけで相手を判断してしまっていたことは反省しています。

 

多様性を認めてくれる都会ならでの懐の深さ

―東京はどんな場所ですか

良い意味で人が人に無関心なので、自分のやりたい事を邪魔されずに好きなように手をつけられる場所ですかね。色んな考えを持った人がいるので色んな情報や機会に出会う事が多い場所でもあります。

実は同性のパートナーと10年ほど一緒に暮らしていて、結婚に相当する関係を築いています。職場にもオープンに伝えています。高校生の頃まではひた隠しにしていて友達にも言えない辛さもありましたね。

東京には新宿2丁目という場所があって「自分と同じような人が集まる場所」としてすごく興味がありました。初めて行ったクラブイベントで見た目が本当に多様な「女性を好きになる女性」を大勢見たときは本当に衝撃でした。

実際に出てきて感じることは、互いに一定の線引きをしながらある程度の匿名性を認めてくれる場所というか、多様性を認めてくれる都会ならではの懐の深さもあるのかなと。

「あい!幸地さんとこの娘さん、この間とっても楽しそうに国際通り歩いていたよ~」というような情報が勝手に拡散していかないことも利点だと思います(笑)。

自分のことを知らない人ばかりの中で自分と他人がどういう関係になるかコントロールできる。プライベートでも窮屈じゃない生活ができています。

 

島を出る事で分かる自分のサイズ

―沖縄の若者にメッセージを

沖縄は島独特のコミュニティの強さがあり、1つの地域で根を張って暮らすという考えがあるように思います。それも沖縄の良さでもありますが、一方では行動や思考も沖縄のスケールになってしまう。

色んな物差しがある東京という世界有数の国際都市に出てくるだけでも価値はあるんじゃないかなと思います。

それに実際に出てみないと本当の自分のサイズが分からないと思うんです。

沖縄と比べると東京は怖い場所というイメージを持つ人も多いですが、ここで暮らす多くの人は同じように期待と不安を持ちながら地方から出てきているので特別視する必要はないと思います。

実際に「東京生まれ東京育ちです」という人には数えるほどしか会ったことがありません。自分のような人が集まって東京を形作ってつくっていると思った方がしっくりくるかも知れません。

いまはどこにでもいける時代です。必ずしも東京にこだわる必要はないですし他の都市もそれぞれの良さがありますからね。理想とする環境を手にする機会は誰にでも与えられている、素晴らしい時代だと思います。

沖縄という場所がある限りいつでも帰ることができるので、何歳からでも出たいと思った時に出る事をお勧めしたいです。

 

幸地彩子さん
幸地彩子(こうち・あやこ)

1984年5月 那覇市生まれ 昭和薬科附属高、東京農大造園科学科を経て、国立農工大農学府修士修了。 大学在学中に日本自然保護協会にアルバイトとして勤務を開始。大学院在籍中に定時職員として助成金事務局や企業向けの自然観察会運営を担当。2016年から広報担当として、取材対応やメディア向け勉強会の実施、プレスリリース作成、WEBサイト運営等を担当する。 自然観察指導員、ビオトープ管理士(計画)2級

 

平良英之

幸地さん、お話ありがとうございました!

幸地さんにお仕事のご相談・ご提案がある方は、東京うちなんちゅ会まで気軽にお問い合わせください。

 

 

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