「大切なのは諦めずに何度もチャレンジすること」MARYさんの仕事論(アイリスト・モデル)

maryさん仕事論

「大切なのはあきらめずに何度もチャレンジすること」

そう語るのは、-58kgのダイエットを達成し、それをきっかけに芸能活動の世界にも足を踏み入れたMARY(メリー)さん。

美容の世界にも身を置きながら表現者としての歩みを進める中で大切にしている思い、姿勢を教えていただきました。

目次

「私、太っていました」MARYさんの生い立ち

maryさん

―沖縄ではどんな幼少期を過ごしていましたか?

父親がアメリカ人で当時の宮古島ではハーフは珍しがられました。本名のハードマン・メリー・さくらという目立つ名前もあって覚えられやすく、周囲からも『珍しい生き物だ』みたいな感じで可愛がってもらえました。

身長が小学校で168センチまで伸びたのですが、横にも大きくて。バスケットボールもやっていたので体は動かしていたのですが、その分お腹がすいて食べちゃって(笑)。小学校卒業時には80キロを超えていました。

でもバスケではその体格を生かしてゴール下ではほぼ無敵状態。勝つ喜びも好きだったので、夢中でやっていました。

そうしたら県大会でのプレーが印象に残ったのでしょうか?県内強豪の西原高校からスカウトの声がかかったんです。

自分の中でバスケは中学でやり切った感じがして正直、高校ではもういいかなと思っていたのですが、島の外にも興味があったので西原高校に進むことにしました。

でも入学までの数ヶ月で食べまくった上に体を動かしていなかったので体重が100キロ手前まで増えてしまい、顧問の先生に「20キロやせるまでボールは触らせない」と断言されました。

それはそうですよね。期待した新人が来てみたら別人になっていたのですから。

そこから一緒に来た母親の力も借りながら食事を低カロリー高たんぱくの特別メニューに変えて、3か月で24キロ減の68キロにまで落とすことが出来ました。

練習はきつくてスタメン争いも厳しかったですが、持ち前のパワーを生かしてシックスマンとして全国インターハイベスト8入りを経験することができました。

夢を追いかけ東京に

―高校卒業後はどの様な進路を歩んだのでしょうか?

幼い頃から歌手になりたいという夢があって、きらびやかなステージで気持ちよさそうに歌うプロのシンガーに憧れを持っていました。

でも母からは「まず手に職をつけろ」と言われて。姉が本島で美容師をしていたので那覇の美容学校に通うことにしました。

漠然とですが、芸能界にも近い職種かなという期待もあったと思います。そこで美容師の国家資格を取得して東京に出てきました。

親元を離れることは前から決めていていましたし、人やチャンスが集まる東京でチャレンジしてみたいという気持ちが強かったので迷いはありませんでした。

過去最高体重→マイナス58kg達成!

―東京での生活はどうでしたか?

ヘアサロンでアシスタントとして働いていたのですが、バスケットを引退してから運動量が減ったのに食事量だけが変わらず体重が年々増えていました。

食べる事でストレス解消につなげる悪い習慣もあって、いつしか体重計にも乗らなくなり現実逃避していたと思います。

自分の中ではそんなに太っていない感覚だったのですが、実際計ってみたら108キロになっていてさすがに驚きました。

でもそこまで悲観せずに仕事を頑張りながら芸能のオーディションを受けていたのですが、結果は不合格続きでした。

そんな時に東京で久しぶりに会った沖縄の友人から「まだ太っているの?」と言われたことがかなり悔しくて。

でも実際に周りから見れば私は太っていたし、歌手になりたいと言っておきながら逆に自分から遠ざかっていたんだという事を痛感しました。

そこから人生最後のダイエットと決意して、高校時代の68キロを目指しました。

最初の3か月で30キロ落とすことは成功したのですが、そこからがきつかったですね。

さぼり癖がある自分を認めながら、息抜きを入れながらもありとあらゆる減量方法を試して、最終的に50キロまで落とすことに成功しました。

友人に言われた一言も大きな原動力でしたが、あるオーディションで言われた「折角良いものを持っているのにもったいない」という言葉も大きな励みにしていました。

夢の一歩

―そこからどんな転機を迎えたのでしょうか?

私のダイエット体験がテレビ番組に採用されたことで、念願の芸能事務所に所属する事ができました。

ハーフのタレントは競争も激しく決して仕事の幅が広いわけではないので方向性を模索しながらの活動ですが、エナジードリンクのイメージモデルのお仕事を頂いた時は本当に楽しかったです。やはり人から注目されることが好きなんだなと思いました。

また美容師からまつ毛ケアのプロであるアイリストに転身して3年になり、美容スキルも芸能の仕事にプラスに働いていると思います。今後は歌だけでなく、演技の勉強もして色んな表現方法を磨きたいですね。

まだまだ何も成し遂げていませんが、常に情報のアンテナを張って、準備を怠らなければ突然来るチャンスを掴む可能性が上がるはずと信じて頑張っていきます!

どこで誰とつながるか分からないのも人が集まる東京ならではだと思うので、どん欲に自分から動いていきたいです。

―最後に読者にメッセージをお願いします。

私は太っていたけども、夢は決して諦めていませんでした。人によっては回り道に見えたかもしれませんが、あのダイエット経験があったからこそ夢の扉を開くことができ、今は新しい世界でこれまで知らなかった自分を見つけることができました。

周囲の声や反応を気にして躊躇してしまう気持ちも十分わかります。でもそんな時こそ「私はどうしたいの?」という質問を自分自身に問いかけてください。きっと答えはあなたの中に見つかるはずです。

例え失敗したとしても、それは一歩を踏み出した証です。大切なのは諦めずに何度もチャレンジすること。“もう一度”という挑戦の先にあなたが想像している以上の自分が待っています。

marysan

MARY(メリー)

1994年宮古島市生まれ。西原高校ではバスケットボール部に所属し全国インターハイに出場。 ビューティーモードカレッジ(那覇市)美容科コースを修了後、東京で美容師アシスタントに。 身長168センチ体重108キロから58キロのダイエットに成功した体験談が日本テレビ「ザ!世界仰天ニュース」に取り上げられ、そのビフォーアフターが注目を浴び、芸能事務所に所属。 2020年11月KIIVAエナジードリンクイメージモデル。 現在はアイリスト、モデルとして活動中。

【Instagram】 https://www.instagram.com/1___mary___0/

【INCEPTION HP】 https://inception34.jp/review/1375/

平良英之

MARYさん、お話ありがとうございました!

MARYさんにお仕事のご相談・ご提案がある方は「しまんちゅの翼」まで気軽にお問い合わせください。

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この記事を書いた人

東京沖縄県人会広報理事。「東京都沖縄区」代表。AFP、二級ファイナンシャルプランニング技能士、住宅ローンアドバイザー、証券外務員2種。1983年生まれ。宮古島市出身。

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