「沖縄と人とのご縁を大事にしたい」㈱日本バイオテック代表・山城真志さんの仕事論

沖縄で育った海ぶどうやコーヒー豆を世界中へ届けたい。

そう語るのは株式会社日本バイオテックの代表取締役、山城真志さん(東京都出身)

生まれ育ちは東京ながら沖縄にルーツを持ち「切っても切り離せない場所」と語る沖縄への思い、事業ビジョンなどを教えていただきました。

目次

父と二人三脚で事業を立ち上げる

―現在のお仕事について教えてください。

沖縄県糸満市で海ぶどうの養殖業キャンプサイト運営などをおこなう株式会社日本バイオテックの代表を務めています。

また2018年には業務用集塵機や空調機器などのメンテナンスサービス事業の全国展開をおこなう株式会社空気清浄機サービス(本社:埼玉県)を父から受け継ぎ、2社の代表を務めながら現在は東京と沖縄を往復する生活を続けています。

―どのようにしてキャリアを形成されたのでしょうか?

那覇市出身の父親のもと、県系2世として東京都渋谷区に3兄妹の長男として生まれました。

美術大学に通い、将来は工業デザイナーになるつもりでしたが、父が空調の仕事だけでなく、東京で沖縄物産会社を立ち上げることになり、看板や広告作成や営業全般を手伝うようになりました。

気が付けば学業よりも仕事にのめり込んでいました。

当時はNHK連続テレビ小説の「ちゅらさん」の影響もあり、空前の沖縄ブーム。

東京の人には物珍しさもあって、沖縄そば・泡盛・島野菜や海ぶどうがよく売れ、沖縄料理店の数も一気に増えました。

沖縄物産の会社では店舗での小売りと卸販売を行っており、沖縄の魅力ある商品仕入れや店頭ラインナップを心掛けていました。

価格や仕入れロットの交渉の中で、生産者やメーカーの強さを感じていました。

ちょうど父が出資者と会社の運営を巡ってもめていた時だったこともあり、二人で会社を離れて沖縄の糸満市で海ぶどうの生産を手掛けることになりました。

父は東京で空調の仕事があったので、私が沖縄に移り住み、海ぶどうの事業を進めました。

名前は山城ですが、生まれも育ちも東京なので糸満市は私にとって未知の土地でした。

養殖業のノウハウも全くないので、経験者に教えてもらいながら大工仕事や設備工事をしてインフラを整えました。

設備が整い、海ぶどうがうまく育っても台風被害で全滅したこともあり、何度か心が折れそうになりました。

事業を始めて5~6年は赤字続きでした。試行錯誤を繰り返しながら少しずつノウハウを積み上げ、途中から交渉力やマネジメントに長けた妹が事業に合流してから安定してきました。

「海ん道」公式サイトhttps://www.uminchi.com/

大きな転機と別分野への挑戦

―そのあとに転機があったそうですね。

2009年頃、父に重い病気が見付かり、急遽東京に戻ることとなりました。

父との話の中で海ぶどうの事業は妹に任せて、私が空調の会社を継ぐことが具体化してきました。

事業内容は工場や飲食店の集塵機や、オフィスの喫煙所などに置かれる分煙機のメンテナンスといった下支えのサービスです。

父が開拓した販路をそのまま受け継ぎましたが、社内禁煙という時代の流れもあり、徐々に需要が減っていくタイミングで新しい事業展開を模索する必要がありました。

ただ急に新しいことが出来るわけもなく、空調関連の資格取得を通して業界の事を勉強しながら徐々に方向性が定まってきました。

2015年に重機大手メーカーで営業を担当していた弟も事業に合流し、2018年に私が代表取締役に就任しました。

現在は東京を拠点にしながら月1回のペースで沖縄に通っています。

―全くの別分野にも挑戦されたと聞きました。

東京のコーヒー焙煎会社の代表から、ブラジルの日系3世の方が運営するコーヒー農園からコーヒーの種を譲り受ける事ができるので、沖縄県で栽培をやってみないかというお話をいただきました。

でも土地や栽培技術も必要なので、始めるには非常にハードルが高かったです。コーヒーは栽培から収穫まで3~5年かかると言われています。

2013年頃に良いタイミングで親戚を通じて沖縄本島北部に土地が用意出来ました。

ただ30年ほど前に畑があったという、雑木林が生い茂る土地なので、まずユンボを入れて土地の開梱から始めました。

いまだにコーヒー栽培は苦労だらけで試行錯誤を続けており、一筋縄ではいきません。

土壌改良して苦労してやっと苗木が育ち始めても、台風からくる塩害で木や実を枯らしてしまい… 海ぶどうでも似た苦労をしましたが、諦めずに取り組んだ結果、今年は豊作が期待できそうです。

沖縄ではコーヒー栽培だけで商売が成り立っている人はまだいません。生産量や販路も限られているので、ビジネスとして成立させるためには豆を高値で取引する必要があります。

目標としては生産と流通を安定化させ、沖縄産コーヒー豆の知名度とブランド力を高めていくことです。いずれは宿泊施設とセットで農業体験の受け入れを行っていく予定です。

沖縄への思いとこれからのビジョン

―沖縄にルーツを持つことについてはどの様にお考えですか?

小さい頃は沖縄には旅行に行くという感覚でしたが、仕事で行き来するようになってからは、山城という姓が生きているなと感じます。

当然沖縄の血が流れていますが、それ以上に同じウチナ―ンチュの姓があることで仕事もプライベートも話が進めやすいです。

生まれ育ちは東京ですが、父方の親戚が多く暮らす沖縄は切っても切れない場所です。

これからまだ沖縄でやりたいことが沢山あるので、人の繋がりを大事にして事業に繋げていきたいです。

―最後に今後のビジョンを教えてください。

空気清浄機サービスは業務の変革期を迎えており、事業拡大の為に社員の資格取得や設備投資など積極的におこなっています。

糸満市に本社を置く日本バイオテックでは海ぶどう養殖だけでなく、海ぶどう摘み取り体験、キャンプサイト、カフェなどを楽しめる「海ん道」(UMINCHI)を運営しています。

海ぶどう養殖を通じて人材の育成、地域社会の活性、観光資源の創造が私たちのミッションです。

沖縄で育った海ぶどうやコーヒー豆が海を渡り、世界中へ届けられたらと思い描いています。


山城真志(やましろ・しんじ)

1980年6月7日。東京都渋谷区生まれ。 育成工業高等専門学校を経て、武蔵野美術大学に進学。在学中に那覇市出身の父が手掛ける沖縄物産会社の手伝いを始める。その後、沖縄県糸満市の株式会社日本バイオテックで海ぶどう養殖業を立ち上げる。2018年からは株式会社空気清浄機サービスの代表取締役に就任。現在は東京と沖縄を往復する生活をしている。

平良英之

山城さん、お話ありがとうございました!

山城さんにお仕事のご相談・ご提案がある方は「しまんちゅの翼」まで気軽にお問い合わせください。

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この記事を書いた人

東京沖縄県人会広報理事。「東京都沖縄区」代表。AFP、二級ファイナンシャルプランニング技能士、住宅ローンアドバイザー、証券外務員2種。1983年生まれ。宮古島市出身。

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