インタビュー

「東京は形の無いモノの 価値をきちんと 評価してくれる街」井上涼上馬さんの仕事論(スポーツパフォーマンスコーチ)

井上涼上馬さんの仕事論

そう語るのは、株式会社PHYSIOFLEX代表の井上涼上馬(いのうえりょうま)さん。

プロバスケ選手へチャレンジした後にトレーナーを志し、東京で独立されるまでの体験から感じた東京という街の特徴、沖縄への思いなどを語っていただきました。

(更新日:2018年6月6日)

 

<ご案内>

 

メディカル事業、スポーツ事業、アカデミック事業の3分野を展開

井上涼上馬さん

 

―現在のお仕事について

フィジカルトレーナーの資格を生かしてコンディショニング事業を運営しています。

主に、病気や怪我による歩行困難者を対象とするメディカル事業。プロアスリートを筆頭にトップアマチュアや学生アスリートへの競技力向上、傷害予防プログラムの提供をおこなうスポーツ事業。そして大学や研究機関と連携して共同研究をおこなうアカデミック事業の3つの分野を展開しています。

 

選手としての限界。そこで出会ったトレーナーという仕事

井上涼上馬さん

 

―上京のきっかけは

中高では部活でなく公園や米軍基地の中でバスケットに熱中していました。それなりに人より上手いという自信もあって、大学卒業後にプロクラブのトライアウトを受けました。100人超の参加者の中で最後の10人まで残ったのですが結局不合格で「上には上がいるな」と選手としての限界を感じました。

その時にチームの中にトレーナーという仕事を見つけて興味を持ったのですが、家系が公務員という事もあって1年間、臨時職員として沖縄県庁で働くことになりました。

配属された部署が雇用対策課という県庁の中でも屈指のハードな職場で毎日死にそうになりながら働いていましたが、雇用情勢の調査や県外を希望する学生の就職支援等に携わるようになって、やはり県外で一度働いてみたいという思いが強くなりました。

また父からも「お前は公務員に向いていない」と言われて「やっぱりそうだよねと」(笑)。

退職後は前から興味を持っていたトレーナーになる為2年間専門学校に通いました。その間「やるならマーケットの大きい東京だな」と、卒業後は上京する事を前提に色々と情報収集をしました。

この業界のトップで活躍する憧れの人にトレーナーとして食べていきたいですけど、どうすればいいですか?って遠慮なくメールしましたね。そうしたら有難いことに「志は高くて素晴らしいけども、正直10人に1人も生き残れない世界。それでもやる気があるなら出てきなさい」と返事を頂きました。

 

独立に向けて、見つけた自分の強み

―上京後は

自分の事業を立ち上げる前提で上京したのですが、ノウハウもコネクションもないままおきなり1人立ちは厳しい。何よりも沖縄とは違う東京の社会の流れを知ることが先決だと感じ、まずは組織に入って経験を積むことにしました。

ちょうどアパレルを母体とする会社がトレーニング事業を立ち上げる事になり、パーソナルトレーナーとして1年目からジムの店長を任され5年間マネジメントを学ぶことが出来ました。

独立へ向け自分の強みは何か?と考えるようになった時、ちょうど担当していたお客さんに怪我や病気の方が多く、これは医療のニーズがあるなと感じました。健康保険でカバーできない難しい治療ですが僕だけが持っているノウハウがあるのでマーケットは小さいが確実にビジネスになると。

個人事業で1年間おこなったあと法人化しました。個人の時よりも社会的な信用度が格段に上がりましたね。それに患者さんが元気になってくれるのが一番嬉しいです。今では全事業収益の7割がメディカル事業です。

 

井上涼上馬さん井上涼上馬さん井上涼上馬さん

 

東京の「仕事のスピード感」に戸惑い

―東京に出てきたときの苦労は

ネガティブな苦労ではないですが、仕事のスピードに慣れるのは大変でしたね。県庁で働いていたときは決められた日や時間に合わせて仕事をしていたのですが、東京ではとにかくスピード感が第一で最初は戸惑いました。

また金銭感覚にはシビアですね。店長時代、閉店後にレジの売り上げが1円足りなかったんです。上司に連絡したら「見つかるまで探せ」と言われました。稼ぐってそういう事なのかと実感しましたね。

 

東京は「形のない物の価値」を理解してくれる街

―東京はどんな場所ですか

日本の情報、流行の発信地ですね。地方にいるとどうしても情報が古くなり受身がちになる。受け取る側よりも発信する側になりたかったんです。その代わり発信する人間も多いのでその中で注目してもらえる光るものをいかに生み出すか。常に競争です。

また情報や技術といった形のない物の価値をちゃんと理解してくれる人が多いなと感じます。

僕らの仕事は知識と技術の提供なので形がない。沖縄だと結構、ボランティアでやってくれと頼まれます。もちろん、助け合いのゆいまーる精神は大事ですが、ビジネスとしてはマイナスになってしまう。東京だとちゃんと仕事が成り立つんです。

またやればやっただけ認めてくれる実力主義の側面が強く、ニーズやマーケットの分析など努力の方向性さえ間違っていなければ結果は出る場所なのでやりがいはありますね。

でも上には上が沢山いるので、この街での成功を目指すのであれば実力を上げるしかないと思います。

一方で公共交通機関や街がシステマチックに機能しているので、生活のリズムは作りやすいですね。

あとは何よりも世界中から人や情報や物が集まる世界都市です。刺激と面白さに溢れています。また将来、海外に進出を考えている人には間違いなく良いステップになる街だと思います。

 

外から見えてくる沖縄がある

―沖縄の若者たちへのメッセージを

父や祖父の時代と違い、沖縄出身がネガティブに捉えられる事はほぼ無いです。むしろ歓迎されますよ。

僕は定年60歳と考えた時に40歳で何かを達成していたかった。東京に出てきてこれまでの13年間を振り返るとものすごい密度でした。

当然、この街に出てきて、その人がどの様に動き、時間を使うかにもよりますが、経験や収入面、人のつながりや、あるいはモノの考え方など人生の方向性はすごく広がると言えます。

一方で沖縄出身としてのスピリットは大切に持っていますし、沖縄は大好きな場所です。

将来は沖縄の教育改革をしたいという夢もあり、まずは事業家としての成功を目指しています。

それに東京にいると沖縄の事が良い面も悪い面も俯瞰的に見られる。中にいると分からないものが見えてくる。これはすごく大きい事です。色々なものを吸収できる力に溢れている若い今だからこそ、県外に羽ばたく勇気を持ってもらいたいです。

 

井上涼上馬

井上 涼上馬(いのうえ・りょうま)

1978年10日5日 浦添市生まれ 浦添高校、沖縄キリスト教短期大学、沖縄国際大を経て、CSCS(認定ストレングス&コンディショニングスペシャリスト)、NSCA-CPT(認定パーソナルトレーナー)の資格を取得。 都内のジムで5年間勤務後、2011年12月東京や関東近郊においてEMC “Evidenced Medical Conditioning”事業を開始。現在は東京や関東近隣県だけではなく地元沖縄での事業も展開中。 日本テニス協会登録フィジカルコーチ。TEAM DADA B LEAGUE 東京海上日動ビッグブルー ストレングスコーチ

【公式サイト】株式会社PHYSIOFLEX

【Facebook】https://www.facebook.com/ryoma.inoue.12

 

平良英之

井上さん、お話ありがとうございました!

井上さんにお仕事のご相談・ご提案がある方は、東京うちなんちゅ会まで気軽にお問い合わせください。

 

 

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