インタビュー

「自信は予習と復習の繰り返しから生まれる」宮國正淳さんの仕事論(施工店アルサーノ代表)

宮國正淳さんの仕事論

 

そう語るのは、東京都内にてリフォームや原状回復工事を請け負う施工店を営む宮國正淳さん(宮古島市出身)。

職人さんらしい実直な活動と「すべての仕事を高いレベルで極めたい」という志の高さから来る仕事論、そして沖縄への思いを教えていただきました。

(更新日:20202年9月16日)

 

<ご案内>

 

やりたい事が見つかった時の為に貯金を始めた

宮國正淳さん

 

―現在のお仕事について教えてください。

マンション、アパート、家屋のリフォームや原状回復工事を請け負う施工店を運営しております。

―沖縄ではどんな日々を送っていましたか?

小学生時代は野球少年でしたね。父親からプロ野球選手になれと言われて本気でプロを目指していました。でも学年が上がるにつれて一握りの人間しかプロに行けないという現実を実感するようになりました。

子供ながらにどこか冷静な部分があったと思います。その後はバスケットボール、サッカー、陸上と部活動をしていましたが、これと言った将来の目標がなく、実家が裕福ではなかったこともあって、親に頼らず早く自分で稼ぎたいという思いが強くなりました。

高校では地元の宮古工業高校の自動車課に進学しましたが、飲食や工事現場、夏休みには季節労働などに従事し月20万円ぐらいは稼いでいたと思います。

高校2年で中退をしてからもアルバイトに専念していたのですが、同級生が着々と進路を決めていく中で自分のバイト生活に不安を感じました。

具体的な将来のプランも見えないままでは結婚もできないと思いましたし、何かやりたいことが見つかった時の為にまとまったお金を作ろうと思い、一度、島を離れて環境を変える決断をしました。

そして長野県の部品工場で契約社員として働くことになりました。18歳の時の事です。

―初めての県外での生活はどうでしたか?

寮生活で地元の同級生も一緒だったので特に寂しいと思うことはありませんでした。職場と寮の往復する生活でしたが、自分は100万円貯めると決めていたので遊びの誘いなどは断って仕事に専念した結果、半年で100万円を貯金することができました。

その頃になって内装業をやりたいという思いが強くなりました。実家が古かったので自分の手で直してお客を招きたいという気持ちもありましたが、宮古の人は漁師や農家であっても自分の事は自分でするという感じで本業以外の仕事ができる人が多かったんです。

実家のトイレが壊れた時は叔父がやってきて、さっと修理していく。そんな姿がカッコよく映っていたのもあると思います。

その後は一度宮古島に帰ったのですが、今ほどインターネットが発達していない時代、本格的に習うには情報が集まる場所に行く必要がありました。それで稼いだ100万円を手に東京に行くことにしました。

 

家探しからつまずいた東京生活

―東京ではどの様な暮らしをしてきましたか?

最初はカプセルホテルに寝泊まりしながら家を探そうとしましたが、仕事がないと見つからないんですね。東京に行けば家はすぐ見つかるだろうという気持ちで出てきましたが考えが甘かったです(笑)。

求人雑誌を見ながら職探しをしていましたが、不動産会社の方のつながりで工事現場の管理業務を紹介してもらいました。主に工事工程の進捗を管理する仕事でしたが、自分はまだ見習いの身でしたので見て学ぶ事が多かった気がします。

それでも早く自分で職人として技術を学びたいとい気持ちが揺るぐことはありませんでした。そこで経験を積んだのち、内装の原状回復工事を請け負う施工会社に転職しました。

 

全ての仕事を一人で経験したい

―その後はどの様にして現在のキャリアにたどり着いたのでしょうか?

この業界は1つの仕事について1人の職人といった感じで専門化されているんですね。内装は内装屋、左官は左官屋といった感じでそれぞれの職人が集まって家が建つ。

1つの仕事に5年〜10年かけて一人前と言われていますが、でも自分はかねてから色んな職種を経験したいと思っていました。

多能工・コーディネーター兼内装職人など仕事の幅が広がりますし、何よりも1人の人間がトータルに関わるので仕事の効率化にもつながります。

でもただ幅広く手を付けるだけでなく、全てを高いレベルで極めたい。だから人生をかけて取り組もうと思いました。

当然その分の仕事を覚える苦労はあります。10年間かけて最初はクリーニングから、大工仕事を経て、設備、塗装、色んな仕事を無我夢中で覚えました。

別の会社で通用するかを試すために他の施工会社に転職してからは工事部長となって人材マネジメントも学ぶことができました。

そして2015年、32歳の時に独立し、原状回復やリフォーム、内装工事をおこなう工務店アルテサーノを設立しました。アルテサーノとはスペイン語で「職人」を意味します。

 

 

立ち上げ当初は伝手もなくて不安もありましたが、技術には自信を持っていました。迅速な対応を求められるトイレなどの水回り工事だと、他社にはできないスピードで完了できたのでお客さんには感謝されましたね。

ゼロからゴールまで全てを見通せるので発想力が鍛えられますし、1つの作品だと思っています。何よりも部屋の景色が変わっていくのを見るのが楽しいし、1人だからこその達成感でしょうか。

不動産管理会社を通じて工事案件をもらい、徐々に仕事が増えて、4年目となった今では部下1人も加わり安定してきています。

―今後の目標を教えてください。

職種問わずに動ける能力のある職人を揃えたいです。そうすればさらに現場の効率が変わります。自分の目が届く限界の4人~5人が理想ですね。

職人のなり手が少ないこの時代、僕らは後進の為にも待遇改善などを通じて仕事の価値を上げていくことが必要だと思っています。魅力のある職場にしたいですね。

古くから受け継がれる技術と最新のテクノロジーを活用できる技能集団を作っていくことが差別化につながります。そしていつかは僕がいなくなっても会社が回るような体制作りをできればと考えています。

 

真剣に取り組んでこそ

―壁に当たった時に、心掛けたことはりますか?

東京での修業時代に親を亡くした時は辛かったですね。仕事を覚えている最中だったこともあり、すぐに帰ることができずに葛藤がありましたが、この仕事を身に着けるまではという思いが強くありました。

独立するときも伝手が全くなくゼロからのスタートでしたが、東京にいる宮古島の仲間が色々と縁を繋げてくれました。地元の結束力は本当に有難いですよ。

間違いなく言えることは自分が真剣に取り組んでいた姿を見て彼らが手を差し伸べてくれたんだと思います。それからはどんな状況でも常に自分がやってきた事を信じて恐れずに取り組むことにしています。

―最後に読者にメッセージをお願いします。

今はインターネットを通して色んな情報が手に入りますし、情報に基づいてだいたいの結果も想像できる時代です。だけど実際に行動を起こしてみないと分からない事も多い。自分のように挑戦を通して道が開けることもあります。

自信は予習と復習を繰り返し手にできるものです。

入念に準備をして行動することも必要ですが、経験が少ない若い時にはまず行動を起こしてみることをお勧めします。

例えつまずいても、そこから感じて、学び、1つ1つ問題を乗り越えて成長して行く事が大切な事だと思います。

 

宮國正淳さん

宮國正淳(みやぐに・せいじゅん)

1983年宮古島市生まれ。宮古工業高校を中退後、19歳で上京。内装の原状回復をおこなう施工会社で、大工、設備、内装など様々な職人の元で経験を積み、2017年に東京都小金井市にリフォーム・原状回復を請け負う施工店、アルテサーノを設立。高い技術力と最短の施工スピードで信頼を集めている。問い合わせは公式サイトへ。

【Artesano】https://artesano.amebaownd.com/

 

平良英之

宮國さん、お話ありがとうございました!

宮國さんにお仕事のご相談・ご提案がある方は、東京うちなんちゅ会まで気軽にお問い合わせください。

 

 

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