そう語るのは沖縄プロバスケチーム・琉球ゴールデンキングスで初代キングスダンサーズもつとめ、ダンサー、ヨガインストラクターとして活動される永沢由美さん(旧姓:知名)。
キングス発足当時の苦労を折れない心で乗り越え、ダンサーとしてヨガインストラクターとして活動する中で見えてきた「無限の可能性がある街」東京で活動する心得、若い世代へのメッセージを教えていただきました。
(更新日:2018年9月11日)
<ご案内>
キングスダンサーズ1期生としての苦労
―現在のお仕事について
フリーランスのヨガインストラクターとして都内を中心に体幹強化や怪我予防等を目的としたヨガ教室を開いています。
またプロのショーダンサーとして定期的に歌やダンスステージに立つほか、2018年10月からは子供向けの英会話教室を開校する予定です。
―沖縄ではどんな日々を送っていましたか?
小さい頃から音楽が好きで高校では吹奏楽部に入っていました。
洋楽や洋画が好きだったこともあり、高校3年生の時にアメリカのミズーリ州に1年間交換留学をしたのですが、その高校のバスケットボールチームのチアガールを見て人に元気と笑顔を与えられるチアってなんてカッコいいんだ!私もやりたい!と感動して。
でも残念ながら滞在期間の関係で入部はできませんでしたが、帰国してもチアリーディングへの憧れはずっと持っていました。
すると大学3年の時に沖縄にプロバスケットボールチームが出来ることに伴いチアダンサーを募集しているという事を知り、無我夢中で友人を誘ってオーディションに応募して、運よく合格する事ができました。
2007年に当時bjリーグ所属のチームとして発足した琉球ゴールデンキングス所属のキングスダンサーズです。 開幕までの道のりは本当に大変でしたね。
開幕直前に振付を指導する先生が体調不良で退くことになり、衣装選びや振付なども全て自分たちだけでしていくことになりました。
皆、仕事をしながらのボランティアでしたので、心労も重なって途中で辞めていくメンバーもいて最終的には合格者の半分ほどになっていました。
それでも残ったメンバーで手を取り合ってなんとか開幕までに形を作ることができましたが、今度はチームが勝てなくてアリーナは閑古鳥状態。笑顔でコートに立ってパフォーマンスを終えても拍手が関係者だけという寂しい日もよくありました(笑)。
それでも友人でもあるリーダーの女性が「私たちが暗闇の中の光にならないと」と言ってくれたことで奮起できました。
1年目は最下位でしたが、2年目はいきなりのbjリーグチャンピオン。こんな奇跡ってあるんですね。最後に1万人が入った有明コロシアムで踊れたことは今も忘れません。キングスダンサーズでの2年間はどんな環境でも折れない心を養うことができました。
形のないものへの対価を認めて欲しい
―上京のきっかけを教えてください
大学在学中からいつかプロのダンサーとしてスポットライトを浴びたいという夢が大きくなっていました。
でも当時沖縄ではショービジネスがあまり盛んではなく仕事としては成り立ちにくい場所でもありました。
ダンスを披露する機会はあっても無償で依頼されるケースも多く「ダンスは趣味でもいいんじゃない?」という意見もあり、形のないものに対してお金をかけなくてもいいという風潮が少なからずありました。
でも東京はエンターテイメントが盛んでしっかり対価として認めてくれる。プロ意識を持つためにも報酬は得るべきだと考え上京を決意しました。
そして憧れのステージへ
―上京後の生活はどうでしたか?
ダンス事務所のオーディションをひたすら受けて合格したところに所属や契約をしていました。
でもいつも仕事がある訳ではなかったのでスポーツジムの受付をしたり、子供にチアを教えたりしていくつもアルバイトを掛け持ちしていました。とにかく1つ1つの仕事をしっかりこなす事に必死でしたね。
アパートもアルバイトだとなかなか契約できなかったのですが友人の女の子が快くルームシェアを引き受けてくれて本当に助かりました。
そういう生活が3年ぐらい続いて、そろそろ単発でなく1箇所で継続的に仕事がしたいと思っていた時に銀座の老舗キャバレー「白いばら」がダンサーを募集している事を知りました。
最初はキャバレーという場所で踊ることに正直抵抗もありましたが、そこは昭和6年から80年以上もの歴史を持つ老舗で全国各地に多くのファンがいて来店される方も普段では会えないような方ばかり。
何十年も通ってくださる常連さんや女性のお客さんもいらっしゃいました。そして何よりも宝塚でも指導経験がある振付の先生に教えてもらうことが嬉しくて、華やかなレビューやラインダンスなどまさに私が目指していた場所でした。
週1日の休みだけで文字通りダンス漬けの日々でしたが、お客さんに「明日の活力になるよ」「嫌なことも忘れられた」と感謝された時は本当に嬉しかったですね。
あと定期的に知見を深めるためにニューヨークのブロードウェイやラスベガスのショー、本場フランスのキャバレーも見学してショーの振付にも生かしていました。
自分の体と向き合う大切さ
―現在のお仕事への転換点は?
「白いばら」には5年弱務めていましたが、建物の老朽化に伴い2018年1月に閉店し取り壊されることになりました。突然の発表だったので、スタッフやお客さんもびっくりしていました。
その頃、日々の体のケアのために始めたヨガ教室で瞑想していると心身的にとても癒されてたんですね。不思議なもので心と体ってつながっているんだなと。
大好きなダンスで暮らせる充実感はありましたが、毎日踊っているとどこか身体や心にもストレスは溜まっていくんですね。それで本格的にヨガを学びたいと思ってお店が閉店したあとに1ヶ月弱、ハワイに行ってインストラクター資格取得の勉強をしました。
座学と実践、解剖学までみっちりと学んでいると、自然の自分の体の不調の原因まで分かるようになるんですね。沢山ヨガから癒しをもらってきたので今度は自分が周りに提供したいなと思い、今年5月からフリーランスのヨガインストラクターとして活動を始めました。
―東京で暮らす上での心構えはありますか?
仕事に対してはやはり厳しいですね。特に時間厳守の面で。沖縄で良くある『道が混んでいたから』という理由は通じないです。予測を持って時間に間に合うように行動する習慣がつきました。
あとは自らがクリエイティブにならないといけないと思います。組織の中にいてもいなくてもアイデアを出してどう環境を作って発信していくか。
そこに速さも求められるので沖縄とは違う東京独特のスピード感に慣れることが必要だと思います。
目標達成への選択肢が多くある場所
ーあなたにとって東京はどんな場所ですか?
無限の可能性のある場所ですね。色んな人達が夢を追って暮らしていてバイタリティ溢れ、その道の“一流”と呼ばれる人達が集まっている場所。そういう人達から知識を得たり一緒に仕事ができたりするチャンスもあります。
また目標達成への様々な選択肢が多くあり、やりたい事を色んな方法で実現できる場所だとも言えます。
目標に向かって挑戦して手にしたものを故郷に持ち帰っても良い。自分が望む環境を作るための力を手にできる場所だと思っています。
―今後の目標を教えてください
ヨガのインストラクターとしては自分の体に向き合う大切さを多くの人に伝えていきたいです。
一方で「白いばら」の元メンバーでダンスカンパニーを立ち上げました。この伝統あるレビューショーの歴史を受け継いでいけたらと思っています。
いずれは沖縄でショーをすることが夢です。沖縄にショービジネス文化を根付かせることが出来たらこんな嬉しいことはないですね。
“正しい努力”をして欲しい
―最後に沖縄の若者へメッセージをお願いします
今でも大切に心に刻んでいるキングスダンサーズ時代のリーダーだった友人の言葉があります。
「三流の人間は環境に文句を言って、二流はその環境に順応する。でも一流は自ら環境を作ることができる」
まずは目標に向かって何が必要で何をするべきかを見極めることが必要ですね。ただやみくもでなく“正しい努力”をすること。
例えば東京の家賃がネックであれば、私のようにシェアハウスをすることで安く暮らせますし、寮を完備した会社もあります。夢を応援してくれる環境は探せば沢山あることを知って欲しいです。
私自身、根拠のない自信を持って生きてきたので失敗も多いですが笑ってネタにしています(笑)。
自分の直感を信じて進めば必ず道は拓けるので、諦めずにどんな環境でも楽しみながら進んでいってもらいたいです。
永沢由美(ながさわ・ゆみ)
1986年2月26日 うるま市生まれ 前原高校卒業後、キリスト教学院大英語コミュニケーション学科在学中に、琉球ゴールデンキングス(当時bjリーグ)公式チアダンスチーム、キングスダンサーズ1期生として2季に渡り活動。卒業後、2009年10月に上京。チアリーディングやバックダンサーとしてTVCM出演を果たした後に、2013年から5年間に渡り銀座『白いばら』のレギュラーダンサーとして出演。現在はヨガインストラクター、プロダンサー、子供向け英会話教室の主宰と幅広く活躍する。全米ヨガアライアンスRYT200、ハタヨガ、リラックスヨガ、プライベートレッスン資格保有。旧姓は知名。
【You Tube】https://www.youtube.com/channel/UCN2Vc9nUsFW8qPCjEHl-WcQ
永沢さん、お話ありがとうございました!
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