「自分の”好き”を大切に」
そう語るのは沖縄県与那国島出身の俳優・映画監督、東盛あいかさん。
大学の卒業制作として初主演・監督した映画「ばちらぬん」がぴあフィルムフェスティバル2021グランプリを受賞、全国公開も決まって注目を集めています。
そんな東盛さんにこれまでの歩みや、後輩へのメッセージを教えていただきました。
島を出て京都で映画を学ぶ
―映画製作を目指されたきっかけは?
15歳までは陸上をやっていて、ずっと走ってばかりでした。高校もスポーツ推薦で駅伝部に所属していましたが、記録が伸び悩んで学校生活がうまくいかず、不登校になりました。
その期間になんとなく映画を観始めたことがきっかけで映画に興味を持つようになりました。
最初は自分にとっては現実逃避の場所でしたが、次第に自分が目指したい世界になっていて、目標が見つかったことで引きこもりから脱却することができました。
そこからはどうすればいいかと自分で考えて動けるようになりました。
沖縄を出て愛知の通信制の高校に編入して、アルバイトをしながら高校卒業資格を取得。1年遅れて京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映画学科俳優コースに入学しました。
―大学生活はどうでしたか?
夢が叶ったというよりも「さあ、これからだぞ!」という感覚でしたね。高校生活がうまくいかなかったので、その分を大学で取り戻すぞという意気込んでいました。
周囲は映画業界を目指す人ばかりだったので毎日ドキドキワクワクでしたね。高校までは自分の周りには映画好きという人がいなかったので。
学年が上がるにつれて同期の中から「誰誰が現場に行った」という話を聞くことが増えて、自分も負けていられないなとかなり刺激にしていました。
映画学科には俳優コースと制作コースが2つあって、両方の講義を受けることができたので、制作の分野にも興味を持つようになりました。
1年生の頃からいつか与那国島で映画を撮りたいという気持ちがありました。
制作のカリキュラムを学ぶうちに現実味が湧いてきたので、3年生になった時には卒業制作で撮ってみようと動き出しました。
「ばちらぬん」が生まれるまで
―なぜ与那国島を題材にしようと?
そもそも自分が芸大に入って物づくりをする中で自分自身を振り返った時に、やはり故郷の与那国島は欠かせない存在であり、島を知ることが自分を知ることにつながるんじゃないかという思いに行き着きました。
その時から与那国の言葉や歴史を勉強するようになり、帰る度に島の変化にも気づくようになりました。
街の景観だけでなく、人々の暮らしぶりや祖父の老いを目にして、焦燥感というか怖さにも似た感情を持つようになって。
今の自分に何かできることはないか?と思った時に、それが映画という術でした。
島出身の私が今の与那国を撮ることに意味があるんじゃないかと。
3年生でリサーチをかけて、4年生になると同時に制作を開始する予定でした。
当初は仲間達と共に島でオールロケの長編フィクションを撮影する計画でしたが、コロナ禍になってしまって、このままじゃ撮れないぞと計画を練り直すことにしました。
与那国と京都に撮影パートを分けて、締め切りギリギリになんとか間に合いました。
「ばちらぬん」は与那国の言葉で“忘れない”を意味します。映画を撮り終えた後に、映画自体が私の分身のような気がして。
自分自身に与那国を忘れないと刻むことで、映画を観た方の心の中に何らかの感情を持ってもらえたら嬉しいなと。
もちろん多くの人に島の事を忘れないで欲しいという思いもありますが、まずは「自分自身が忘れないよ」と映画に願いを込めました。
この作品はドキュメンタリーとフィクションを組み合わせた作りになっていて、その世界を結ぶ役割として主人公の制服の少女を演じました。
特にドキュメンタリーの部分は撮りたいものを箇条書きにして臨みましたが、目の前にあることが枝葉に分かれていくまでじっくり回しました。
フィクションパートは京都で撮影しました。でもあまり京都を意識させたくなかった。 特に島の言葉は島のアイデンティティーであり、それが失われていく未来は島が欠けていくのと同じだという強い危機感がありました。
自分としても吸収したいし、どうにかして次の世代にも伝えていきたい。
今年は沖縄の本土復帰50周年というメモリアルな年ですが、それが沖縄本島だけの復帰と思われたくないですね。
本島の周りにも色んな島々があって、その1つ1つの島に色んな50年がありました。
是非若い人達に観てもらいたいし、与那国を題材にしていますが、観た人それぞれの故郷や自分自身を思い返すきっかけにもなるかもしれません。そうなれば映画を創った甲斐がありますね。
地元が好きなら、一度外に出て
―今後はどんな活動をしていきたいですか
実は監督と呼ばれるのもあまり慣れていないんです。「ばちらぬん」で監督をしたのも、与那国の映画を他の人に任せたくなかったからという思いがあります。でも俳優をしながらまた作品を撮ってみたいという気持ちもありますね。
コロナ禍を受けて今回の作品になりましたが、いつか隣の台湾との懸け橋となる与那国の作品も創ってみたいです。
―後輩達へのメッセージを
与那国島からしたら石垣島も沖縄本島も都会。そういう所に出ていく度に自分の島を外から見る視点が広がっていったんですね。沖縄を出て京都で暮らすようになって、より顕著になりました。
島が好きだから島にずっといることを否定するわけではないですが、1か所だけにいるとその世界だけしか見えなくなってしまう。
例えば私も大学では「与那国島ってどこ?」と聞かれることがあって、自分の島はそんなに知られていないんだと気づくことができました。
勿論、県外に出る事は不安もありましたが、出てみて発見や吸収できることも多かったです。
結果論ですが、地元が好きならば一度、外に出てみることをお勧めします。
思い返せば15歳で島を出て入った石垣の高校で挫折して、引きこもりになっていた時に親を始め、多くの島の人達に心配をかけたと思いますが、今はこうやって自分の道を歩けるようになってやっと高校時代の自分を受け入れられるようになったのかなと。
特に与那国島のような離島の中学生は外の世界に期待と不安を持っていると思います。
これは私自身の経験から言えることですが、つまずいてしまった時に立ちあがる術を持っていないと、起き上がるのに時間がかかってしまいます。
なので上ばかり見て自分への期待を大きくすること以上に、挫折した時の自分自身への慰め方を何か1つ持っていたほうがいいと思います。
私の場合、それは映画でした。なので自分の”好き”を見失わないで欲しいなと思います。
「私はこういう事に興味がある」という周囲への“好き”の発信も1つのアイデアですよね。
目標だけ大きくして現実との距離が大きくなってしまうと自信を無くしてしまう場合があります。
夢は大きく持って、小さい目標を日々クリアしていくことで夢の実現に近づいていくはずです。
1997年生まれ、沖縄県出身。地元の与那国島から京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)映画学科俳優コースに進学。主演・監督を務めた卒業制作作品「ばちらぬん」がぴあフィルムフェスティバル2021グランプリを受賞、2022年5月7日より順次全国公開。
【Twitter】https://twitter.com/aika_higamo
【ばちらぬん公式サイト】https://bachiranun.com/
東盛さん、お話ありがとうございました!
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