自分から人とのつながりを大切にすれば、答えてくれる
そう語るのは東京・神田にて「結ぶ食房 しまゆし」オーナーの石垣信由起さん(石垣市出身)。
何もわからずツテもないまま上京してからの苦労、そしてやがて飲食業界の道を歩むまで。
東京で生きていくコツ「自分から人とのつながりを大切にする」「郷に入りては郷に従え」とは。
その思いについて教えていただきました。
(インタビュー日:2022年11月)
<ご案内>
右も左もわからず、とりあえず上京
ーまず上京した経緯を教えてもらえますか
僕の出身は石垣島で沖縄大学に通っていたんですけど、アルバイトにかまけてるうちに大学を辞めざるを得なくなりまして(笑)。
なんとなく「東京に出てみたいな」と漠然という思いはずっとあったんです。
沖縄にいると凄く居心地は良いんだけど、男として「一度大きなところへ出てみないと」みたいな。
それでとりあえず上京して。貯金も速攻で無くなってバイト暮らしで苦しい思いもしましたね。
交通整理の現場の仕事とか、沖縄から出てきたばかりだと電車の乗り方もよくわからないじゃないですか。まだスマホもない時代だし。
一度、現場に電車でたどり着けず4駅前で出勤15分前になってお金も無いということがありました。
仕方なく見ず知らずの優しそうなおばちゃんに事情を話して1,000円を貸してもらって泣きながら現場に向かったりもしました。
またある時は、工事現場の仲間がみんなお昼ごはんを食べにお店に行くのに自分だけお金が無くてそれさえ行けず、ひとり残って100円のパンをかじったりもしてました。
ー飲食業界に入ったきっかけは?
もともと興味はあり、20歳くらいの頃に住み込みでとあるお店で働くことになりました。
そこは料理人の体育会ノリが強くて厳しかったですね。
なんとか頑張っていましたが、ただずっとホール担当で調理場に立ちたいという思いが強くなっていって。
和食や洋食ってハードルが高く感じるけど、1番自分が何が食べたいかと言われたらやはり沖縄料理だったんですね。
それで吉祥寺や立川、町田、八王子に展開していた「ニライカナイ」というお店で働かせていただきました。私が28歳の頃からです。
少しずつ経験を積んで、やがて店長を任されるようにまでなりました。
2012年、僕が34歳の頃にタイのバンコクにも出店するという話になり、2年ほど滞在してその立ち上げに携わったりもしました。
そしてその後、私の独立も支援していただき2016年に今のお店「しまゆし」をオープンさせました。
「〜結ぶ食房〜しまゆし」
店名の意味は沖縄の言葉で ・しま=そのまま「島」の意もありますが、「ふるさと」の意味ももっています
・ゆし=知識や経験を寄せる、教え合う。集まって持ち寄るイメージ です。
なので言葉は沖縄からですが、沖縄に限らず 日本各地の皆様それぞれの「ふるさとを持ち寄る」 そんなお店を目指しています。
地方からの集まりや懇親会、または会社の歓送迎会、 セミナー終了後の打ち上げなど 様々なシーンに皆様のご要望に応えられるお店です。
当店では各地域の食材を豊富に使ったメニューをご提供しています。
それぞれのふるさとを大切にする気持ちが豊かになっていくような、そんな思いを提供できるお店を目指しています。
コロナ禍で飲食業界はなかなか苦しい時期が続いていますが、なんとか踏ん張ってやっています。
心を支えるのは「家族への思い」
ー沖縄は居心地が良いぶん、上京して苦しいことがあると帰ってしまう人も多いですよね。石垣さんは苦しい時期をなぜ乗り越えられたのだと思いますか?
僕はまず退路が無かったですね。親にむちゃくちゃ迷惑かけて帰るに帰れない(笑)。
大学を辞めた時に母親に泣かれて、それから絶縁に近い状態になったんですよ。
自分は何もできていない。でもいつか親を安心させたい。それが目標になりましたね。
飲食業界でだんだん頑張ってる姿を見せられるようになり、やっと親も認めてくれて応援してくれるようになりました。
最近は私も子供ができたので、またそれが励みになっています。
人とのつながり、柔軟性を大切に
ー上京を考えてる若者に伝えたいことはありますか?
ちゃんと目標があるなら良いけど、なんとなく辞めるのだけは決しておすすめできません。
やはり学歴によって選択肢は広がるのは事実ですよね。安定した仕事にもつながりやすい。
大学卒業したってまだ22歳とかじゃないですか。そこから色々始めたっていいし、とりあえず大学は出ておいて損はない。
大学に限らず若い頃にありがちですが、今感謝しなきゃいけない状況なのにそれを感じられないことってある。そこは意識しておいたほうが良いと思いますね。
あと「郷に入れば郷に従え」と言いますが、時には自分の価値観、モノサシを柔軟に手放すことも大事だと思いますね。
例えば私がタイで働いた時に強く思ったんですけど、日本の価値観でタイに行くとあまりうまくいかない。お金に厳しかったり、人前で絶対に怒ったら駄目とか。
柔軟にモノサシを変えて対応することでタイの人たちにも受け入れてもらった経験があります。
自分の中で芯は持ちつつも、環境に対応できる柔軟性。このバランスが重要だと思います。
東京は一人になろうと思えばどこまでも一人になれる街です。ただ、だからこそ人との繋がりのありがたさを実感できる。
私が飲食業界で仕事を続けて独立できたのもそのおかげだと思います。
特に沖縄の人は「沖縄どうし」というだけでどこか心の深い部分でつながる感覚があるじゃないですか。
言葉にすれば当たり前に感じるかもしれませんが、そうした人とのご縁、つながりを大切にしていくのがやはり大事だと思いますね。
石垣信由起(いしがき・のぶゆき)
1977年石垣市出身、八重山高校卒業→沖縄大学(中退)中退を機に20歳で上京。和食居酒屋にて社員として勤務。28歳の時に調理を学ぶため、吉祥寺の沖縄料理ニライカナイにて勤務。5年間の店長を務めた後2012年同会社のタイバンコク進出の立ち上げとして2年半勤める。帰国後、独立を目指すため、現在のお店の前身店舗にて店長を務め2016年オーナーから店舗を譲ってもらい独立。地域の自治体と連携し、その土地のPRと地場食材を使ってお客様に提供するスタイルを月替わりで行っている。
【結ぶ食房しまゆし HP】https://www.shimayushi.com/index.shtml
【結ぶ食房しまゆし Facebookページ】https://www.facebook.com/shimayushi.panari/
石垣さん、お話ありがとうございました!
石垣さんにお仕事のご相談、ご提案がある方はぜひお問い合わせください。