今回は「関東エイサーを語り継ぐ」を目的に始まった「守礼の島プロジェクト」についてご紹介します。
関東エイサーハチウクシまつり実行委員、中野チャンプルーフェスタ実行委員会副会長、中野区エイサー連合会代表を務める上原慶さん(沖縄市出身)にお話いただきました。
※上原慶さんについてはこちらもご参照ください↓
<ご案内>
「守礼の島プロジェクト」とは
2022年5月15日 沖縄が日本「本土復帰50周年」の節目を迎えました。
コロナ禍で疲弊した関東エイサー文化の復活を願い、2022年3月20日に私たちは「関東エイサーハチウクシまつり」を開催しました。
沖縄ではない関東でなぜ私たちはエイサーを踊り続けるのか?
イベント後も継続して「関東エイサーを語り継ぐ」活動として今回の楽曲制作 「守礼の島プロジェクト」を立ち上げました。
記録では(注:2022年9月現在)戦後の関東のエイサーは 1970年 中野区沖縄郷土の家「読谷村渡慶次エイサー」 1974年 沖縄青年の集いゆうなの会「勝連町比嘉エイサー」 パーランクー(片面太鼓)の2団体から始まったとされています。
1981年に代々木公園で開催されたイベント「エイサーの夕べ」において 「沖縄市比嘉青年会(※現沖縄市久保田青年会)」が来京し演舞を披露。
それまで東京沖縄県人会青年部のエイサーというのはパーランクー(小さめの手持ち太鼓)を使ったものだったそうです。
久保田青年会の大きな締太鼓を使ったエイサーを見てみんなが衝撃を受けたそうです。
これが関東と締太鼓エイサーとの出会いでした。
「沖縄市比嘉青年会」の演舞を「東京沖縄県人会青年部」が習い伝搬したことにより 今日の「締太鼓」を主流とした現在の関東エイサーの潮流ができあがりました。
今回、伝統エイサーを関東で伝える企画として関東の基礎となった「久保田青年会」のオリジナル曲である 「守礼の島」を小学校などでの披露で使用してもらえるよう ポップスバージョンにて制作いたしました。
本来の生唄・三線の民謡ではなく、現代ポップスでエイサーを踊って 沖縄を知ってもらう、感じてもらうのも嬉しいこと。
けれどそこから。
ルーツである「伝統エイサー」を継承する 「自治会・青年会」が守り継ぐ 「先祖供養・地域貢献」 祈りの踊りであることが原点であることを知ってほしい。
そんな願いを込めて制作いたしました。
ポップス風にした今回の楽曲を聴いて 一人でも多くの方に、地域を大切にする沖縄のエイサーに託した思い 「自治会・青年会」活動こそ沖縄文化を根幹から支えている力の源であると興味を持っていただけたらと思います。
最後に、1981年に関東で初めて締太鼓エイサーを披露したメンバーでもある久保田自治会・新城精二さんに心より御礼申し上げます。
【関東エイサーハチウクシまつり実行委員会 一同】