【沖縄テレビに出演しました】
はいさい!「うちなんちゅの翼」代表の平良英之です。
「TOKYOワーホリ」は「東京から沖縄を盛り上げよう!」をコンセプトとしたサービスです。
東京で働くウチナーンチュを応援するためのお役立ち情報をお届けしたり、若者向けの上京サポートやお仕事相談、交流イベント等を実施するのが主な活動です。
ここでは私の自己紹介と事業への思いをお伝えします。
「先輩方のお引き立て」で私の人生は拓けてきました
まず私自身の生い立ち、キャリアを簡潔にまとめると以下の通りとなります。
- 1983年4月:沖縄県宮古島市(旧平良市)生まれ
- 2002年4月:高校卒業後宮古島を離れて沖縄本島へ、沖縄国際大学入学
- 2006年4月:就職で上京2009年10月~三井生命でFPとしてのキャリアスタート
- 2011年4月:Facebookグループにて東京都沖縄区活動開始
- 2013年7月:三井生命在籍時、合同会社として東京都沖縄区を法人化
- 2014年4月:FPとして独立、現在にいたる。
【取得資格】
AFP、二級ファイナンシャルプランニング技能士、住宅ローンアドバイザー、証券外務員2種
もともと上京する意思はなく、沖縄で教員になることを希望して教育実習も経験しました。
しかし、実習先の担当教諭のアドバイスにより「2~3年は社会経験を積んでおきたい」と考えるに至り、就職と同時に上京しました。
昔は沖縄出身者ということがハンデになる時代もあったそうですが、私の頃はそうでもなく、むしろ好印象を持っていただく場面が多くありました。
時代はちょうどリーマン・ショック前の投資ブーム。
外資系証券・銀行の羽振りの良さを目の当たりにして投資に興味を持ち、より深く学びたいという理由で金融の世界に第二新卒として転職。FPの資格も取得してキャリアを積んでいきました。
ただすべてが順風満帆だったというわけでもなく、時には信頼していたFP仲間に裏切られて共同事業の出資金を使い込まれたり、ポンジスキーム(投資を募ってお金を騙し取る詐欺の一種)に巻き込まれたり、ネットワークビジネスの過度な勧誘を受けるなど、色々と苦い社会勉強も経験しました。
そして2013年には合同会社「東京都沖縄区」を設立して独立するにいたり、現在は資産運用アドバイスや保険・不動産仲介業を中心に活動しています。
最近はおかげさまで仕事も順調で、二人の娘も生まれて楽しく充実した毎日を過ごしております。
最近は娘たちがかわいくて仕方ありません!
しかし一方、過去を振り返ってみると同世代の沖縄の友人にはこんな人たちも多くいました。
「上京してみたいけどチャンスやタイミングを掴めなかった」
「上京したけど苦労や孤独感がつらく、結局沖縄に帰ることにした」
また、ある友人は振り込め詐欺グループと関わりを持った結果、タトゥーだらけで見た目も人相も激変して、遂には音信不通になるなんてこともありました。。
「出会う人次第で人生は良くも悪くも大きく変わる」と実感した出来事でした。
そんな彼らと私の違いはどこにあったのでしょう?
運や能力など様々な要因があったかもしれませんが、最も痛感したのは「良い出会いの有無」でした。
私が東京で独り立ちして充実した日々を過ごせるようになった一番の理由は、人生の節目節目で親身になってくださる先輩方に偶然出会い、アドバイスやお力添えにより多大なお引き立てをいただいたからです。
例えば、こんな方々にお世話になりました。
- FPを始めたての頃に相談に乗ってもらい、私専用の営業ツールまで作っていただいた先輩。
- 東京都沖縄区のロゴを作る際に興味を持っていただき、一緒に打ち合わせして作りあげていただいた先輩。
- 事業が不安定だった頃「いつでも話を聞いてあげるから遊びに来なさい」とオリオンビールと夕飯を出してくれた、東京でのお母さん的存在の沖縄料理屋のママ
しかも皆さんとも私に良くしていただいただけでなく、「自分に恩を返すより下の世代の力になってあげて」「仲間内で協力することは大事にしなさい」と下の世代全体への愛情やゆいまーる(助け合い精神)にも溢れた方々でした。
私の人生を拓くきっかけをいただいたそんな先輩方には、感謝してもしきれないほどの思いがあります。
また東京でFPとして活動して多くのお客様のお話を伺っていると、世の中には様々な生き方があること、沖縄にいた頃の私はいかに狭い価値観、限られた選択肢の中で判断して生きていたかも痛感しました。
まさに「井の中の蛙、大海を知らず」でした。
そして私も人生の中盤戦を迎えて下の世代が増えてくるにつれ、自分が受けた恩を彼らにも返していきたいという思いを強く持つようになりました。
「上の世代から受けた恩は、下の世代に返せ」
かつて私が沖縄の先輩から頂いて、とても印象的だった言葉があります。
それは「上の世代から受けた恩は、下の世代に返せ」というものです。
これは沖縄で脈々と受け継がれてきた「ゆいまーる」(助け合いの精神)、上の世代への感謝、下の世代への愛情も込められた素晴らしい言葉だと思います。
私もまさに先輩方から受けた恩を下の世代に返すことで次世代にバトンを受け渡して沖縄を盛り上げ、「ゆいまーる」の輪を広げていきたいと考えています。
沖縄の「金のたまご」をサポートしたい
東京で活動したいと夢を抱くウチナーンチュは昔から多く存在します。
しかしネットで情報は得られてもその取捨選択は難しく、また自分の夢をどういうプロセスで叶えていけば良いのか、キャリアアップの相談相手を見つけるのも難しいため、なかなか踏み出せないケースも多いのではないでしょうか。
一方、東京で活動する私達が沖縄を盛り上げたくても、実現する手段はまだ少ないのが現状です。
私達がかつて右も左もわからず遠回りをしたり、時には失敗したりチャンスを逃した経験。。
もしそれを次世代への教訓、アドバイスとして伝えることができれば、今度はそれは沖縄の未来への貴重な糧に変わるのではないでしょうか。
東京のウチナーンチュ同士がつながり、沖縄の「金のたまご」をサポートすることで、東京から沖縄を大いに盛り上げたい。
そんな思いから私は「うちなんちゅの翼」を設立しました。
東京にいるからこそ、沖縄のためにできることがあります。
東京ウチナーンチュみんなのゆいまーるで「大きな花」を咲かせたい。
それが私の願いです!
沖縄への恩返し
今から約75年前の第二次世界大戦において、沖縄では「ありったけの地獄を集めた」と言われるほど凄惨を極めた地上戦、沖縄戦が起こりました。
photo by [USMC Archives]
当時の沖縄県民の4分の1にあたる約20万人もの人々が亡くなり、その後もアメリカの占領統治を受けたり、現在まで続く基地問題があったりと、沖縄は長く困難な時期を経験してきました。
沖縄戦が集結した記念日「慰霊の日」に手を合わせてウートートー(お祈り)するたび、私はいつもこんなことを考えてきました。
「沖縄の先人の皆さんに、私は何ができるだろう?」
私達の先人は深い悲しみや苦労を経験し、そのぶん人の痛みを理解する心を育み、平和に暮らせることの喜び、尊さを深く理解する方々でした。
そんな先人の皆さんが最も望むことは何だろう?今の私はこう考えます。
「子や孫たちを幸せにしてほしい」ではないかと。
私が「沖縄を盛り上げたい」「沖縄の金のたまごを育てたい」と考える思いの奥深くには、子や孫の幸せを願う先人の思いが強く宿っている気がしてなりません。
ですからこの事業は沖縄への、生み育ててくれた先人への私なりの恩返しでもあると考えています。
事業を通じて沖縄の子供達にも、オジーオバー達にも喜んもらいたいです!
「TOKYOワーホリ」をよろしくお願いします!
以上が私、平良英之の自己紹介となります。
当社は東京から沖縄を盛り上げ、東京で活躍するウチナンチュが心折れそうになった時に受け皿でありたいと考えています。
もし共感いただけましたら、ぜひ交流イベントなども気軽にご参加いただければ幸いです。
私はFacebookにもおりますのでいつでも気軽にお声かけください。
お読みいただきありがとうございました!
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