インタビュー

「東京は毎日、変化、成長を叶えてくれる」竹口仁子さんの仕事論(パデル選手・キャリアカウンセラー)

竹口仁子さん

そう語るのは、スペイン発祥のラケット競技「パデル」を日本に広めるべく活動されている竹口仁子さん(旧姓:上江洲)。

IT業界大手のDeNAでシビアな環境に揉まれながらも自分の居場所を作り出し、運命の出会いでパデルに取り組むようになり、キャリア教育にも力を入れるようになるまでの歩み、そして沖縄の若者へのメッセージを教えていただきました。

(更新日:2018年10月3日)

 

<ご案内>

 

米国には進路をじっくり定める環境があった

竹口仁子さん

 

―現在のお仕事について

スペイン発祥のラケット競技「パデル」の日本代表として国内外の大会に出場する一方で、パデルの魅力の発信や体験教室・大会サポート等の普及活動にも力を入れています。

また大手IT会社で培ったスキルを生かして学生や若手社会人に向けた進路相談や留学・キャリアカウンセリングをおこなっています。

―沖縄ではどんな日々を過ごしていましたか?

体を動かすのが好きで小学校で野球、中学でバスケット、高校ではソフトボールと両親には色んなスポーツをさせてもらいました。

空手の有段者の父は海外にも教え子が沢山いたこともあり、自宅には頻繁に外国のお弟子さんを招いていました。当時言葉は理解できませんでしたが笑顔やジェスチャーなどで意思疎通を図ったりして。

お陰で子供心にも、目や肌の色の違う外国人に対しても、先入観なく接することができたと思います。

また空手家の父は何でも興味を持ったことに挑戦させてくれる代わりに必ず全力で取り組むことを教えられました。これは今にでも生きている教訓です。

アメリカに留学した兄の影響を受けて私も高3の夏にフロリダに1年間留学を経験しました。

現地で感じたことは、言葉や文化は違うけども私が大切にしている人に尽くす精神や家族や友人への愛情など、共通項が多かったことに驚きました。

高校は日本の様に早くから文系、理系と分けることもなくリベラルアーツという形で、じっくりと将来の目標を選べる環境があり年齢や肩書に影響されることなくフラットな関係で自由に議論を交わせる文化にはとても共感しました。

―上京のきっかけを教えてください

慶応義塾大学に進んだ兄が帰省の度に東京で刺激に満ちた学生生活を語る姿を見て、私も東京で学びたいという気持ちが強くなりました。

それで慶応を含め何校か東京の大学を見学した時にアメリカの様な「文理融合」のリベラルアーツ方式を採用する慶応の総合政策学部(SFC)に大きな魅力を感じました。

大きな公園のキャンパスに自由な校風もあり「ここで学びたい!」と受験を決意し、AO入試で合格する事ができました。

兄妹揃って私大進学という事もあり両親には金銭面で負担をかけましたが、兄との同居やあらゆる種類の奨学金制度も利用するなど出来る限りの事をして上京への道が開けました。

 

今、できる事に貪欲だった学生生活

―上京後の生活はどうでしたか?

奨学金や両親の支援を受けている事もあり、とにかく1年生は学業に専念しました。ほぼ学校とアルバイト先と家の往復。

お陰で成績はオールAが取ることができ、生活面でも段々と東京独特のスピードに慣れてきました。

2年生からは興味のあった計量経済学や組織マネジメント、2つのゼミに入る一方でディベートサークルにも入るなど、とにかく興味の持った分野には貪欲に挑戦していました。

今出来ることに対していかに全力を尽くすかという信念は常に持っていました。

それに周囲の学生は知識と思考が深く自分の成長に貪欲な学生ばかり。沖縄時代は自分もその志向が強いと思っていましたが、やはり全国から優秀な学生が集まる大学に来るとまだまだだなと。

でもその環境のお陰で自分も大きな成長を遂げられたと思います。環境が人を変えるという事を実感した大学生活でもありました。

―卒業後の進路はどの様に決めましたか?

就職活動をするにあたり統計と人材マネジメントには興味があったのですが、具体的にどの分野でそれらを生かすかというのが明確になっていなかったので、やりたい事が見つかったときに何でも出来るようなスキルを手にできる組織を目指そうと、業種は絞らずにどんどん応募をしました。

その中の一社にIT大手のDeNAがありました。 圧迫面接だけでなく合宿形式でのディベートやタスク解決能力を測る試験など、とにかく厳しかったことを覚えています。

うまく質問に答えられずにその都度「ああ、落ちたな」と思っても不思議と次段階へ進めていて、気がつけば最終面接まで来ていました。

嬉しいと思う反面、選考の度にやりきれない悔しい思いをしていたので、ここではやりがいのあるチャレンジができるのではないか?と、他社の選考を辞退してDeNA1本に絞りました。

最終面接を前に40人ぐらいの先輩社員を訪問して話を聞かせてもらいました。先輩たちは会社のいいところだけでなくネガティブな部分も隠さずに真摯に話してくれて本当に嬉しかったです。

最終面接で入社への思いを渾身に伝えて内定を頂くことができましたが、仮に不採用でも実力をつけて中途採用に挑戦するぐらいの気持ちでいました。

 

大手ITで学んだ仕事のやりかた

―入社後の日々はどうでしたか?

1年目は営業職に配属されましたが、もう初日から挫折の連続でした。優秀な同期の中で私だけ目標達成が遅く毎日のように泣いていました。

その中で導きだした答えが周りに助けを求める事でした。

学生時代までは負けず嫌いの性格もあって自分の力だけで乗り越えてきました。でも組織に入れば1人の力だけではどうにもならない事もあります。

挫折を経験して出来ないことは素直に認めて、周囲に助けを求める。言い換えれば、周りの力も使い切って成果にこだわるという仕事の仕方を学びました。

それからはこれまでの苦労がなんだったかというぐらいに連続で目標達成をする事ができました。

2年間営業職に就いてようやく慣れて来た頃に今度はデジタルマーケティング部署に異動になりました。新たなミッションはスマートフォンゲームのユーザーをいかに増やすか。

元々ゲームには一切興味がなく、正直モチベーションは全然湧きませんでした。人事志望だったこともありキャリア面談の時には転属希望を出しましたが、「1年限定でいいから頑張ってみて」と言われた事で気持ちも楽になり、ならば思い切りやろうと。

専門的な知識はゼロでしたが営業で培った対話スキルや人に好かれるキャラクターは十分に生かせました。

またゲームに興味がないからこそ、会社が求めるライトユーザーへの訴求には私の様な人間の新しい視点が大いに役立ちました。

それにゲームもやってみると勉強やスポーツみたいに学べる要素も沢山あって今でも時々遊んでいます(笑)。何でも食わず嫌いはダメですよね。

そのうち余裕も出てきたので部署内研修や社内トップ人材へのインタビューや広報などコミュニティを活性化させる横断的な仕事にも取り組ませてもらいました。

当然、会社員なので求められる仕事はクリアした上で、が条件となりますが、ITという新しい企業風土もありその様な部分では裁量を多く持たせてくれた気がします。

“マーケティング兼人事”という感覚で仕事をするうちに人事部への転属にもこだわらなくなりました。

結局は人事に配属されることが大事なのではなく、人事の思考を持って今の場所で実践する。自分自身で居場所作りをしてやりたい事を実現する事が大切なのだと思います。

 

パデルとの運命的な出会い

―現在のお仕事への転換点は?

学生から社会人までしばらくスポーツを離れていたこともあり、最初は生涯スポーツとしてテニスを始めました。でもサーブも満足に入らず全く試合にならない。そんな時にパデルに出会いました。

パデルはスペイン生まれの新しい競技でテニスの約半分コートでダブルスでおこないます。専用ラケットは持ちやすく壁を使って打ち返すことができるのでラリーを続けやすいのが魅力。温泉卓球の感覚で誰でも楽しめるスポーツです。

 

 

ルールもテニスに準じますがやってみるとこれがかなり奥深くて、もっとうまくなりたいと土日は夫に付き合ってもらい、朝から晩まで打ち続けました。さすがに14時間やったときは周りに止められましたが(笑)。

またパデルを通じて色んな人達が交流できるコミュニティが楽しくて、会社にも同好会を作ってSNSグループも作りました。

2016年には日本パデル協会が立ち上がり、ランキングも上がっていくともっと上を目指したい、もっとパデルの魅力を伝えたいと思うようになりました。でも平日は仕事があるのでどうしても時間に制約ができてしまいます。

今年3月の全日本選手権で3位に入り、日本代表として世界大会に出場する千載一遇のチャンスが訪れました。

またDeNAで培ったスキルを生かして大好きなパデルを広めていきたいという思いも重なり、会社を退社して競技に専念する道を選びました。

当然プロという市場や賞金制度もなく、競技だけで食べていくことはできません。

幸い夫の理解と支援もあり、平行してこれまでのスキルを利用したキャリアカウンセラーとして活動していく道を選びました。

 

東京は「毎日、変化、成長」を叶えてくれる街

―東京はあなたにとってどんな場所ですか?

私にとっては刺激的な場所で、なんでもやりたい事やそれを手にできる環境が揃っています。

でもその分競争も激しく、ともすれば如実に勝ち負けを突きつけられる社会でもあります。

色んな考えを持った人達が集まり、大都市ならではの人に縛られない自由がある分、常に自己責任を求められますが、私の座右の銘でもある「毎日、変化、成長」を叶えてくれる場所でもあるので、私には合っている街です。

―今後の目標を教えてください

今月末から南米パラグアイである世界大会に日本代表として全力を尽くしてきます。

競技を知ってもらう事は勿論の事、このパデルを介して色んな人達が集い楽しめるコミュニティを作れたらと考えています。いつか沖縄にパデルコートを作れたら最高ですね。

同時に、1人1人がやりたい事を見つけてそれに向かって全力投球できる社会を実現できるように、キャリアカウンセラーとしてキャリア教育に力を入れていきたいです。

 

沖縄を離れて分かった故郷の素晴らしさ

―最後に沖縄の若者にメッセージをお願いします

私は沖縄を離れた事で、それまで当たり前だった事がそうではない事に沢山気付かされてきました。

一方で、アメリカや東京と外から日本や沖縄を見る事で自分の生まれた場所の素晴らしさも再認識する事ができた気がします。

皆さんの前には色んな道が開けています。でもやりたい事がすでに決まっている人は恐らく少ないでしょう。でもそれが当たり前なんです。

好きなものはどんどん変わって行くし、今好きだと思っていることも実は違うかもしれない。まずはシンプルに2択でも「どっちが好きか」を繰り返して行った先に、やりたい事が見えてくると思います。

その為には自分としっかり向き合う時間を大切にしつつ、一方では常に視野を広げる意識を持ってください。色んな人と会って話したり環境を変えてみたりする事も役立つはずです。

沖縄には夢はあっても金銭的に断念せざるを得ない若者も少なからずいます。勿論、夢を叶える為にお金は無視できませんが、それらを解決する手段は必ず用意されていて、それを知るか知らないかによっても未来は大きく変わってきます。

調べてみて分からなければ聞いてみる。まずは前に向かって1歩を踏み出して欲しいですね。

 

竹口仁子さん
竹口仁子(たけぐち・くにこ)

1989年11月18日 那覇市生まれ。旧姓は上江洲。 首里高校在学中に米国フロリダ州に1年間留学を経験。慶応義塾大学総合政策学部に進学し計量経済学や組織マネジメント等を学ぶ。卒業後はIT大手のDeNAに入社。営業部、デジタルマーケティング部に勤務する一方、パデルの国内トップ選手として活動。2018年3月の全日本選手権で3位に入り、初代日本代表として世界大会(10月29日~11月3日・パラグアイ)に出場が決定。現在はDeNAを退職し、パデル競技に専念する一方で、学生や若手社会人に向けたキャリア教育にも熱を入れている。父は上地流空手八段で、WUB(ワールド・ウチナーンチュ・ビジネス・アソシエーション)会長の上江洲仁吉さん。

 

平良英之

竹口さん、お話ありがとうございました!

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