インタビュー

「東京は生きる力がみなぎる街。自分で行動を」赤嶺姉妹の仕事論(琉球舞踊)

 

そう語るのは、琉球舞踊では珍しい姉妹ユニットとして活動する赤嶺姉妹のお二人(姉・奈津子さん、妹、真希さん)。

お父さんの病気もあり経済的な苦労も経験しながらも前向きさを失わず、「いつもそばにあった踊り」をライフワークとして広く展開していくまでのプロセス、そうして掴んだ東京で生きていくコツ、次世代へのメッセージを教えていただきました。

(更新日:2020年1月22日)

 

<ご案内>

 

アクターズスクールに通いたい!しかし連れて行かれたのは・・・

赤嶺姉妹

 

―現在のお仕事について教えてください。

姉妹で琉球舞踊八曄流餘音の会(はちようりゅうよねのかい)の教師として琉球舞踊の普及と公演活動をおこなっています。

姉の奈津子はソプラノ歌手としての活動もおこなっています。

―沖縄ではどんな幼少期を過ごしていましたか?

奈津子 3人兄妹で上に兄がおり、特に芸能をやっている家庭ではありませんでした。両親が東京の大学を出て2人とも東京で就職して沖縄に戻ってきて私達が生まれました。特に勉強しろとは言われず自主性に任された気がします。

当時はアクターズスクールが全盛期で物心ついた私たちもSPEEDに憧れてスクールに入りたいと母にお願いしたら琉球舞踊に連れて行かれました。まだオーディションを受けられる年齢でなかったのもありますが。

真希 母は伊是名島出身なのですが祝い事では必ず踊る場面があり、母は恥ずかしがり屋でいつも隅に隠れていたそうです。だから娘たちにはそんな思いをさせたくないと思って娘が生まれたら琉舞をやらせようと心に決めていたらしくて。

そして私たちがいいタイミングで「アクターズ」と言ったからこれはチャンス!と思って「分かった!踊りの教室ね」と連れて行かれたのが最初でした(笑)。

―琉球舞踊の稽古はどうでしたか?

真希 気がつけば自然と稽古に通っていました。学校行ってお稽古にいくというのが当たり前になっていましたね。お稽古場にお菓子を食べにいく感覚でした。

中学生になって部活動もしながら稽古へ通っていたので夏休みもゴールデンウィークもなく忙しく過ごしていましたが、不思議と休みたいという気持ちはありませんでした。

綺麗にお化粧をしてもらい衣装を着て舞台に立つ事がモチベーションになっていました。

奈津子 師匠の前田千加子先生も怒ることはなく優しかったです。小さいころは(笑)。だから稽古に行くことが嫌と思ったことはありません。

その他にも水泳、習字、ピアノなどの習い事をやっていましたが、あくまでも当時は習い事の一環だったので私達としても何か伝統を背負っているというような特別な意識はありませんでした。強いて周りと違うことと言えば、髪が切れないことぐらいでしょうか。

 

東京への憧れと父の病

 

―お二人が上京されるきっかけについて教えてください。

奈津子 高校2年生の修学旅行で初めて訪れた京都で昔からの姿で残る寺社仏閣の姿に圧倒されると同時に、自分は外の世界を余りにも知らないなとショックを受けました。

両親共に大学、社会人と東京で過ごしていたこともあり自分も卒業後は本土にという意志が強かったと思います。

でも私が高校3年生で真希が1年生の時に父が脳梗塞で倒れて寝たきりになってしまいました。こんな状況で果たして東京なんて行けるのかと悩みました。

お金もかかるし周囲にも経済的な事で本土移住を諦める子も多かったので自分もたぶん厳しいなと半ば諦めていました。

でも母はあなたが我慢する必要はないと言ってくれました。嬉しかったですが現実問題お金が無かったので、高校卒業後は1年間アルバイトしながら舞踊の稽古に通いました。

その間に色んな大学の情報を集めていて、沖縄で音楽大学の受験が出来ることを知りました。

元々、琉舞を習いながらも音楽が好きだったので漠然と音楽の先生への憧れがあって、音楽の先生という選択肢もいいかなと思い最初は教育学部を受験しようと思っていました。

しかし入試のために通った声楽の先生からあなたは歌が秀でていると背中を押してくれて、歌で受験をしたら一番になって合格することができました。

大学から合格とともに学費免除の給費生に選ばれたと通知が来ました。その通知で大学に給費制度があることを知り、運よく授業料が全額免除になったおかげで入学が叶いました。まさに渡りに船という感じでしたね。

自分能力を引き出してくれた先生との出会いや周囲の協力が大きいですが、今は大学にも色んな受け皿があって改めて受験前に諦めなくて良かったと実感しました。

真希 兄も姉も上京して私も高校卒業をしたら当然東京へ行くものだと思っていました。母からも「姉の家に住むのなら」という条件で許可をもらって上京しました。

私は学費が免除される給費制度ではなく奨学金もらいながら、居酒屋の深夜アルバイトなどで学費を捻出しました。

改めて振り返ってみると私が高校生の時は県外の大学についての情報がとても少なかったと思います。進学資料室に行っても提携大学以外の情報は全く無く、三者面談に行っても進路指導の先生からは県内の大学を薦められたりして。

冷静に考えて先生は私達の家庭環境を考えて薦めてくれていたと思うのですが、自分はどうしても東京の大学に行きたかったので、調べて上から順番に資料請求をして情報を集めました。

 

とにかくお金がない!それでも。

 

―東京での学生生活について教えてください。

奈津子 音大では周囲が裕福ですごいなと思いました。最初はどうなるかと思いましたが私が入学式で新入生代表挨拶をしたことでみんな声をかけてくれ、沖縄のことに興味を持ってくれて打ち解けることができました。

私はあまり彼女たちとの生活格差についてはあまり意識せず私は私という感覚で見栄を張らずに普通に生活していました。

皆ブランド品を持っていても私は周りが決して買わない安いお店で揃えていたので逆に被らないのが良かったですね(笑)。

たとえ相手が住む世界が異なっていたとしても自分が卑屈にならずに自信を持っていればいい人間関係が作れる事を学びました。

学費免除という点で周囲の裕福な人たちに支えられて大学通えている部分もあったので感謝していました。

今振り返ってみると大学時代は沖縄の友達とほとんど遊ぶ事もなかったと思います。そういう意味ではあまり出身地を意識することは無かったですし、東京についても知らないことを隠さずにいたのでコンプレックスはなかったと思います。

それは沖縄が持つ大らかさだと思います。沖縄のポテンシャルが高いから出身地が自信となるのもありますね。

真希 私は姉と2人で生活していたのですが本当にお金がなくてランチすら買えなかったこともあります。そんな日に神のご加護か、大学の礼拝でサンドイッチが配られなんてラッキーなんだと思いました。

一度、私がいちご大福食べたいと言ったら姉が300円くれて。喜んで姉の分も2個買って帰ったら「大きいのを1つ買って1人で食べれば良かったのに」と言ってくれた時には感動して涙がでましたね(笑)。

貧乏話ばかりですが姉と2人でいるということが大きな心の支えだった気がします。 あと包み隠さずに現状を話したら周囲の方々が助けてくれましたので東京の人達は優しいと思いました。

当然アルバイトも色々しました。コールセンター、ダイニングバー、試食販売や試供品のキャンペーンガールなど。大変というよりも新しいことを楽しんでやっていましたね。東京には今まで知らなった色んな仕事があるなと視野が広がりました。

姉は音大で私は青学ですと言ったらめちゃくちゃお金持ちだと思われることが多かったですが、全くその逆。

それでも母からは我慢をしなさいではなく「お金がないなら、健全な仕事で作る方法を考えたら?」といつも言われていたことが大きかったと思います。

また学内に文化活動で社会貢献をしている学生を対象とした給費制度があることを知り、病院や介護施設を慰問した経験をPRして給付金をもらい、沖縄へ帰って琉球舞踊の賞を受けるための資金を作りました。

お金は死活問題だったので自然と何があるか?というアンテナの感度は高くなっていたと思います。

 

傍には常に踊りがあった

―その後のキャリアについて教えてください。

奈津子  東京でも前田先生の門下生とともに琉舞の稽古は続けていました。月に一度は沖縄に帰ってまた稽古という生活を続けて二十歳の時に沖縄タイムス伝統芸能選考会舞踊の部で最高賞をとることができました。

大学時代に知り合った今の夫が芸事を応援してくれて彼の「もっと高みを目指してみたら」という薦めもあって大学院に進みました。

大学院ではオペラの研究で手一杯でしたが、いざ終わってみると今までの人生を振り返ってみると必ず踊りが傍にあったなと実感して、同じタイミングで前田先生から教師免許を頂き教室を立ち上げました。

東京に出て来て改めて沖縄の洗練された文化を再認識しましたし、独自の文化の美しさが凝縮されたのが琉球舞踊でもあります。

東京でも芸能公演を通じて十分勝負できると自信がありましたし、無形文化財として尊いものを東京から広めたいと思っています。

真希 卒業後はキャビンアテンダントになりたくて羽田空港で働いていたのですが、英語の勉強と経験も兼ねてワーキングホリデーで1年間カナダのトロントで生活をしていました。

帰国後は専門商社で働きながらCAの試験を受けていたのですが、海外出張もある今の仕事に魅力を感じてこちらに専念することにしました。

結局踊りの仕事で沖縄に帰っているのですごい頻度で飛行機に乗っています(笑)。

今までなんとなく姉と2人で舞台に立っていたのですが、幼少期から姉妹で踊りを続けているのは珍しく、姉妹ならではの息の合った舞踊は武器になると思い、せっかくなら仕事にしようと2016年春からユニットとして活動を始めました。

東京を拠点としていますが沖縄、台湾やカナダでも公演しています。現在は働きながら赤嶺姉妹としての活動を続けています。

 

 

母からの言葉「分からなければ人に聞きなさい」

―東京はどんな街ですか?

奈津子 選択肢が多い街ですね。何でもあるから本当に自分のやりたいものやチャンスを見つけることができると思います。

あとは東京の人は優しいです。私達の近所の商店会の人達はまだ下町人情が残っていていつも良くしてくれます。ある意味、東京は他所から来る人に慣れているからこそ優しくしてくれるのではないかと思います。

真希 確かに沖縄にいると本土の人達は厳しいイメージがあるけど一旦顔なじみになるとすごく優しい。一人暮らしをしていた時、近所の八百屋さんでネギを買おうと思ったら3本束しかなくて躊躇していたら、店主の方が「じゃ1本でいいよ」と言ってくれてそこから顔なじみになり、時々会話を交わすようになりました。

上京前に母から言われていたことは「わからないときは人に聞きなさい」と。沖縄の人は恥ずかしがり屋の気質もあるのか、物を聞くのをためらう人が多い気がします。実際私もそうでした。

その母の言葉のおかげで東京でもカナダでも困ったときには周りの人に助けを求めながら生活ができたと思います。

奈津子 東京はきっちりしている人が多いし求められることはそれなりに厳しいけども、やることをやっていればなあなあにせずきちんと返してくれます。

生きる力がみなぎっている街。沖縄にはないエネルギーがありますね。確かに沖縄でも何か新しいことをやろうとするのは県外の人が多い気がします。

 

本当にやりたい事があるならば、自分で説得を

―最後に読者へメッセージをお願いします。

真希 東京行きを諦めた人達には私達よりも経済的に恵まれている人も沢山いました。方法次第で道はいくらでも道は開けると思います。

だから決してあきらめないで欲しい。目標に対して今置かれた状況を把握した上で何が必要かを求めていけば必ずやるべきことが見えてくるはずです。

奈津子 東京で暮らす上で受身の姿勢では駄目です。これだけ人が多ければ当然競争も激しい。今はネットがあるので自分で何でも情報が手にできる。

世の中は意外と優しいので怖がらずに是非飛び出して欲しいですね。どうか周りのネガティブな声に左右されないで欲しい。

自分の人生なんだから本当にやりたいことが県外にあるならば自分で説得して欲しい。 若さがあればなんでもできます。

もし沖縄が恋しくなってもLCCもあるので新幹線よりも安く帰ることができます。やりたいことがあれば是非トライしてください。応援しています!

 

赤嶺姉妹
赤嶺奈津子・真希(あかみねなつこ・まき)

赤嶺奈津子(姉) 1989年那覇市生まれ 石田中―首里高校―昭和音楽大学音楽学部声楽科―同大大学院修士課程オペラコース修了。舞踊家、ソプラノ歌手。 6歳で琉球舞踊八曄流家元、前田千加子のもとに入門。定期公演で経験を積み、沖縄タイムス伝統芸能選考会舞踊の部新人賞、優秀賞、最高賞を受賞。2014年に餘音の会教師免許を取得。2016年春に姉妹ユニット赤嶺姉妹を立ち上げ、国内外で公演活動をおこなう。

赤嶺真希(妹) 1992年那覇市生まれ 石田中―首里高校―青山学院女子短期大学英文学科英文学卒業 舞踊家。 6歳で琉球舞踊八曄流家元、前田千加子のもとに入門。姉、奈津子と共に定期公演で経験を積み、沖縄タイムス伝統芸能選考会舞踊の部新人賞、優秀賞、最高賞を受賞。 2017年に餘音の会教師免許を取得。現在は専門商社で働きながら、赤嶺姉妹の公演活動をおこなっている。

赤嶺姉妹の公演情報などについては https://www.akaminesisters.com/

 

平良英之
赤嶺さん、お話ありがとうございました!

赤嶺さんにお仕事のご相談・ご提案がある方は、東京うちなんちゅ会まで気軽にお問い合わせください。

 

 

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