今回は「宮古島からアーティストを輩出したい」という思いを胸に東京でフォークギター音楽を中心に活動中のYucco3号さんのインタビューをお届けします。
「宮古島の子どもたちにさまざまなジャンルの音楽に触れる機会を作ってあげたい」というYucco3号さん、その思いを伺いました。
※記事後半には202210月15日に企画されてる音楽イベントのご案内もあります。
<ご案内>
音楽に触れる機会をたくさんつくりたい
ーYucco3号さんが音楽を始めるきっかけを教えてください。
私は学生時代、ラジオ番組で米軍チャンネルで流れる洋楽を聞きながら育ちました。
歌詞はすべて英語なのでもちろん意味は分かりませんでしたが、なぜか惹かれていました。
そこからコピーバンドを始めたり譜面の勉強をしだしたのが音楽に触れるきっかけです。
ー宮古島からの子どもたちにさまざまな音楽に触れる機会を作りたいと思ったきっかけを教えてください。
私が育ったのは宮古島の城辺という地域で、宮古島の中でもさらに田舎な場所でした。
実家が農家だったこともあり家業の単調な畑仕事の手伝いをする中、音楽を聴くことが楽しみでした。
音楽に楽しみを見いだせたことで人生が楽しくなり、音楽を通して友人と交流が持てました。学校の音楽室にあったクラシックギターを仲間内で共有しながら練習する日々がとても楽しかったです。
ただ私も含めて周りも金銭的に裕福ではなく、新しい楽器を買うことが出来なかったため、やりたくても出来ないことも多かったのを覚えています。
この時の思いが原体験となり、島の子どもたちに楽器に触れる機会、音楽に触れる機会を作りたいという思いで活動しています。
ー活動をしてみて感じた壁があったということですが、その点も教えてください。
社会人になって余裕が出来た頃に宮古島の子どもたちに楽器を寄付しようと思い保育園に問い合わせたことがありますが、断られました。
「楽器を寄付していただくのは嬉しいのですが、それを教えられる先生がいない」という理由でした。音楽に触れる機会をつくることの難しさを感じた瞬間でした。
もともと宮古島では『ミヤビリー(宮古のロカビリーの略)』という言葉があるように、ロカビリーだったりロックバンドは盛んです。
ただ音楽のジャンルはかなり偏っています。私が島の外に出て触れた多くの音楽ジャンルは宮古島では触れることが出来なかったものでした。
宮古島では触れることが出来ないものを届けるには『箱』が必要だと思い、仲間と共同出資を行い宮古島でミュージックバーを開店しました。
出資者の都合で詳細について公表することは出来ませんが、そこを通じてさまざまなジャンルの音楽に触れる機会が作れるのではないかと考えています。
そのお店をとっかかりに宮古島でセッションハウスを作るか、東京で沖縄アーティストを育てる場を作るか模索しています。
宮古島の感性が花開くように
ー熱い思いが伝わります。Yucco3号さんにとって音楽とはどのようなものですか?
私にとって音楽は身体の一部です。血液が流れたり心臓の鼓動のように心身を支える表現の一つ。生きていくうえでの支えになっています。
ジャンルを問わずすべての音楽を楽しめるのもDNAに音楽好きが刻み込まれているのだと思います。
ー最後に宮古島の子どもたちに向けてメッセージをお願いします。
私の夢は宮古島からたくさんのアーティストを輩出することです。宮古島の環境で育ったからこそ磨かれる感性があると信じています。
そういった原石が磨かれ輝けるような場を宮古島で作っていきます。
一緒に音楽を楽しみましょう!
イベント紹介
Yucco3号さんはご自身もフォークギターを中心に音楽活動をする傍ら、音楽イベントも企画されています。
今回、宮古島出身のアーティスト前西原夕子さんをメインに据えたイベントが10月15日(土)に大森のフォーク酒場「風に吹かれて」にて開催されます。ぜひチェックしてみてください。
前西原夕子さんの活動についてはこちらから↓
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